ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

勇気を持って通せんぼ(終)

 この「エスカレーターの追い越し列を通せんぼしよう」運動(仮称)。ぼく以外にも同じことを考えている人がいるようで、ときどきその実践活動に遭遇する。止まってしまった列についたとき、ぼくは先頭の人に向かって、心のなかで声をかけている。

  「がんばれ、あなたはひとりじゃない、仲間がいるんだ!」

 ぼくにもたぶん誰かが同じような声援を、声にならない声で送ってくれているんだろう。声にならない罵声も同じぐらい浴びせられているんだろうけどね。

 で、このテーマ、新時代の世直しエイドとして高らかに宣言すべきなんだろうかというと、実はひとつ引っかかる点がある。本当にそれはだめなのか、ということだ。

 現実問題として、エスカレーターの上では人が歩いている。その事実を見ながら、「いや、これは立って乗ることになっているものだから」と、歩いたら壊れてしまうような仕様でエスカレーターを作っているのだとしたら、そのデザイナーは愚か者だ。賢いデザイナーなら、歩くことが困難なデザイン解を求めるだろう。でも、それは新たな問題を産みそうだ(例えば段が高いとかね。歩くのを防げるけど、踏み外し事故の元になる)。やはりまともなデザイナーなら「強度を高める」という、工学的な手当をするだろう。

 ぼくは、押し付けられるルールというものが嫌いだ。ルールは、準自発的に守ることにしている。つまり、理由をちゃんと理解した上で、納得がいくものだけを守るということだ。今回の件で勇気を必要とする理由は、声にならない罵声だけじゃない。「“決まりだから”というだけの理由で盲目的に服従する大ボケ野郎」と思われてしまうことへの恐怖でもあるのだ。