ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

無料ほど高価いものはない(3)

 パソコンの特徴は、自由にある。

 ぼくがパソコンを本格的に使い出した頃、この国には「専用ワープロ」というカテゴリーの商品があった。本体・ディスプレイとプリンタまでが一体化していて、パソコンで別々に組んだ場合に比べるとだんぜん安価に「日本語機械打ち環境」が手に入った。

 だけど、これには大きな問題があった。ソフトまで組み込まれていたということだ。

 これの何がいけないのか。支配されてしまうことだ。

 中には優秀なソフトがあったのかもしれない。けど、勤務先の役所が組織的に導入したシャープ『書院』。これは、泣きたくなるほどヘボかった。特に腹立たしかったのが「固有名詞最優先変換」。文字列を入れると、何があっても地名/人名を再優先で上げてくる。「中には」と入れようとしたら「那珂には」だし、「鋭利な」は「頴娃里奈」になってしまう。文脈からの解釈なんて気の利いたエンジンはなく、何でも“とりあえず名詞”で候補を上げてきてしまう。

 でもそれだけじゃない。支配の対象は、ソフトウェアの外側にまで及ぶ。

 具体的には、用語だ。コンピュータの世界で確立している用語は、長年使い続けた用語がある。なのに、『書院』のマニュアルや操作説明画面では、適当な単語を本来のそれと全く違う意味で使っていたのだ。フロッピーディスクが「ファイル」、ドライブが「デッキ」。これがユーザーに押し付けられてしまう。

 言葉は単なる記号ではなく、一定の概念や思想の現れだ。特に専門用語というのは、長年にわたって培われたもので、それを理解するということは、先人たちの経験と思想を共有するということでもある。だけど、『書院』を使っていると、そういう文化的バックボーンと切り離されてしまう。そしてシャープの狙いも、まさにそこにある。一度『書院』を手にした初心者に、コンピュータという広い海の存在に気づかせず、将来にわたって「文章書くんなら『書院』しかないよね」と思わせること、それが狙いなのだ。