ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

無料ほど高価いものはない(4)

 というわけで、パソコンの特徴は自由にある。

 シャープの馬鹿げた企みに反旗を翻すことは簡単だ。自分でパソコンを買えばいいのだ。それでもう、くだらないソフトに付き合う必要はない。役所中が「蟻が十ございました」にイラ立たされている中、ぼくは持ち込んだ私物PCで跳ぶように軽やかに仕事を進めていた。この気持のゆとりが、その後クリエイターに転身するステップボードになったといえる(勤務時間中に内職してたわけじゃないよ)。

 パソコンでは、ソフトは自分で選んで買わないといけない。これは自由の代償だ。ソフトには、幾つもの選択肢があり、中には「統合型のパッケージを選ばない」という道もある。PC98(互換機)時代、ぼくは最初『P1-EXE』を使った。やがて『一太郎』に乗り換え、さらに『松』へと移った(日本語変換はATOKのまま)。ただその後はワープロソフト自体をレイアウト&印刷のとき以外はやめ、テキストエディタを使うようになった。これは本来はプログラムのソースを記述するためのソフトで、とにかく軽快に動くため、単に文章を書くだけならこちらのほうが便利なのだ。さらにUNIX直系のコマンドラインツールも使うようになり、その一方でアプリとしては、表計算も使いはじめた。

 これがパソコンだ。自分自身にとって真に必要なシステムを構築すればいい。それへの到達には勉強もしなければならないし、無駄になる費用もけっこうあるけど、自由を得るための不可欠な代償なのだ。