ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

無料ほど高価いものはない(6)

 今ぼくがエバーノートに対して感じているのは、困惑だ。

 そのシステムに対して、ユーザーとしての高い満足感を感じているのは事実だ。サーバーの存在を意識することなくどんな環境でも同じように文書の作成ができてしまうことは、「ふつうがいちばん凄い」を地で行っているものにほかならない。これまで、複数のマシン間でデータの同期をとることに費やされてきたエネルギーの総量を考えると、その生産性向上への貢献度ときたら、計り知れない。もちろん、彼らが奉仕活動をしているのではなく、独自のビジネスプランに従ってそうしていることは知っているけど、それでも感謝の念を禁じ得ない。

 でも、思うのだ。「カネぐらい、払わせろ」と。

 システム面では(さらに言えばアプリケーション層の手前までは)とても気に入っているのだけど、ユーザーインターフェイスがどうにも手になじまず、限定的な用途でしかメインユースにできないでいる。これが販売されるパッケージソフトを軸にしたものだったら、別のデザイナーの手によるライバルソフトの登場を期待することもできる。でもエバーノートは無料だ。同じ領域でぶつかりあるようなライバルの登場は期待できない。少なくとも、価格という競争要素は、もう封じられている。

 DOSの時代、ソフトウェアの世界には「すっごいソフト作って一躍スターに!」なんて夢がまだ残っていた。ぼく自身が進んだゲームの方だけではなく、ビジネスソフトにもそういう可能性はあったのだ。当時は、ブランドを誇るメーカーにしても、せいぜい数人のエンジニアで作っているだけ。個人でも方法次第では限定的に勝負できたし、一度目の勝利を元に体勢を固めれば、より大きな主力ソフト分野での勝負だって可能だった。

 そんな時代なら、野心的な人材を引き寄せることも可能だろう。だけど、今は厳しい。ちょっとやそっとの野心ではどうにもならない位、戦うべきブランドフォルダーがでかいからだ。こうなってくると、まず人材の面で、期待ができなくなってしまう。