ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

『響』はもっとうまいよ(3)

 日本人が何でも「国産」を作りたがる理由、それは江戸時代以来の伝統的世界観に根ざしているんじゃないだろうかと、ぼくは見る。

 具体的には、「日本」と「世界」を対置したがるということだ。いうまでもなく、世界には日本も含まれている。なのに、そのようには発想できないのが、日本人だ。だから、希望するレベルが、分不相応に大きくなってしまう。例えば、ブラジルはサッカーが強く、アメリカは野球が強い。こうなると、もうだめだ。サッカーと野球、どちらも強くないとがまんできなくなる。なぜなら「世界はサッカーと野球が強い」から。その“世界”と対置する以上、日本も「サッカーと野球」が強くないと、不満なのだ。

 こういう心のあり方を方向付けたのが江戸の300年の太平(鎖国)だと思うのだ。

 日本一国の統治権を「天下」なんて呼ぶのは、外国との交流も限られていた室町時代の感覚だろう。それが戦国時代に変わった。鉄砲の輸入を通じて、交易というのが利をもたらすことがわかり、冒険的商人たちが海を渡っていく。東南アジアのあちこちに日本人村が作られ、現地の王族に仕える人まで現れた。

 この時代感覚がそのまま延びていたら、「日本も世界の中にある」ことなんて当然だっただろう。だけど、そうはならなかった。日本を統一したことで「天下人」と呼ばれた秀吉が、そのでかすぎる称号に現実を合わせようとして戦争を始め、無残に失敗した。そして次の“天下”を引き継いだ家康はライバルの失敗から学び、グローバリズムを放棄してしまう。それまでの獲得した国際感覚も、鎖国という現実の前に風化してしまい、「日本vs世界」の構図が、以後400年にわたって、脈々と受け継がれることになってしまったのだ。