ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

あいかわらず走ってる(4)

 ランナーにとって、他のランナーの存在は重要だ。別に競い合いたいからじゃない。単に、群れたいのだ。

 ランニングってのは、はっきり言って“ヘンなこと”だ。ぴっちりしたタイツとか短パンとか穿いて、ハアハア息を吐き汗もかきながら、わざわざ自分で自分を苦しめている。ふつうに暮らしている人の中に一人まじると、かなり変だ。でも同じことやってる人が他にもたくさんいれば、開き直れる。

 まあ、大会のときでもない限り、群れと言ってもしれている。道は長く、ランナーは分散していて、しかもプレイ時間は他のドゥースポーツより短いんだから。ただ、東京の皇居外周というのは例外だ。あれはすごい。ぼくは一度だけ走ったことがあるけど、ほとんど数珠つなぎと言っていい状態だった。例によってマスコミとか識者とかは“ブームに乗っかりたがる日本人”とか“聖地化”とか、したり顔のコメントをしているけど、的はずれもいいとこだね。

 とはいえ、それがまたペースが速くてまいったね。何人ものランナーがぼくを抜かしていって(30人くらいまでは数えていた)、ぼくが抜かしたランナーはほとんどいなかった。スロージョギングとかLSDとかって言葉はその頃にもちゃんと本に書いてあったんだけど、少なくとも皇居周りでは誰も実践していなかったようだ。もう2年も前になる。今はきっと、もっと凄いんだろう。

 結局出られなかった東京マラソンだけど、たぶんあの延長線上にあるんだろう。人数、そしてコースの長さと幅。そういうものが全てスケールアップしてるんだろう。

 「変なヤツ」も、3万人になれば、もう一大勢力だ。