ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

BCR、ウィーラブユー!(7)

 先述のように、ぼくにとって最終的に残ったのは、クイーンだ。保有CDということでも、コンプリートまであと3枚と迫っている。

 こうなったのは、FMで聴いた『フェリーフェラーの神技』がきっかけだ。アルバムでいえば『Queen2』。A/B面と言わずして、ホワイトサイド/ブラックサイドと呼び、それぞれのテーマ性に沿った曲が並んでいる。『フェリーフェラー…』はブラックサイドの2曲めで、『オウガバトル』エンディングの爆発音と被さるように始まり、ハイテンポなハープシコードの連打で幕を開ける。幻想感と不条理感が混ざったドキドキする曲で、完全に心を掴まれてしまったのだ。

 だけど、そんなぼくの感動は、元々ロックに詳しい一部の同級生に、嗤われることになった。彼らに言わせれば、ロック界において尊敬すべき対象はローリング・ストーンズレッド・ツェッペリンであって、キッスやエアロスミスなんて所詮は学園バンドに毛の生えた程度のものに過ぎない、となる。そして、ぼくの愛したクイーンも、こき下ろされていた。いわく「プログレの粗悪な亜流品」と。

 当時は反発したものの、その後実際に古いプログレを浴びるほど聴いてみると、彼のいわんとすることが理解できた。アルバム1枚をテーマの下で作ったり、クラシックの―特にバロックあたりの―技法を組み込んだり、多重録音で複雑なサウンドを作ったり、難解(厨二?)な歌詞を採用したりと、初期クイーンを「たらしめ」ていた特徴は、みんなプログレでやってたことばかりだったのだ。結局、クイーンのユニークさは「フレディ・マーキュリーが歌っている」ところで言い切れてしまう。

 でも、そこからの展開が違っていた。クイーンの音楽は、既存枠には収まらないあらゆる領域へと伸びていく。「ロックだから」「プログレだから」なんて境界線はない。

 今日では、70年代のプログレ連中全員を足した分の存在感を、フレディ1人が凌いでいる。EL&Pなんて言っても、ほとんどの人は知らない。ジェネシスだって、今でも話題に上るメンバーは、後から入ったフィル・コリンズだけだ。だけど、ボヘミアン・ラプソディなら、誰もが知っている(&部分的になら歌える)。そしてその未発表曲の発売が、朝のニュースで取り上げられるほどだ。

 結局、人にとって重要なのは、何から始めたかじゃなくて、何をしたのかなのだ。