ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

選挙に向けて思うこと(終)

 終わりにしようなんて書いてから、さらにぐずぐず書き続けた結果、投票日翌日になってしまった。この文章は、実際には少し前に書いているので、まだ結果は出ていない。ただ、以外な結末が待っていないことは、すでにわかっている。

 ところで、こんな話がある。言葉(単語)が持つイメージに関しての調査の結果だ。「科学」という単語に対して、小学生が答えたいちばん多い回答が「怖い」だったというのだ。

 でも、ぼくは思う。今、大人を集めて「政治」を対象に同じ調査を行ったら、「腐敗」とか「汚い」とかが、きっと選ばれる。でもこれって「科学は怖いから止めよう!」と言っているのに等しいんじゃないだろうか。工業技術にとって科学が不可欠であるように、社会生活にとって政治は不可欠なのだから。

 見えているようでその実意識しないと見えないものに、日本の大きさがある。この国には数千の上場企業があり、千数百の地方自治体がある。そして1億2千7百万人の国民が住んでいる。もし日本がEU加盟国なら、面積にして4位、人口で1位という規模になる。これはどうみたって大国なのだ。ふだんロシア・アメリカ・中国とばかり比べているから、平気で「狭い日本」なんて言っているけど、それって大新聞の記者が「私たち庶民の生活に」なんて切り出しているのと同じぐらいの不見識さだ。逆夜郎自大、なんて言ってもいいかもしれない。

 ぼくが若者だった頃、政治家になるための標準コースというのがあった。東大に進み、法学部か経済学部を経て上級職の国家公務員になる。できれば3つ、大蔵省、通産省、そして旧内務省自治省や警察庁など)のどれか。そして、族議員の知遇を得て、派閥領袖とも接近、その推しで地元選挙区から出馬……というものだ。こういう人は、今はすっかり減ってしまった。代わって増えてきたのが、親子代々の政治家。でも、これは実は危険だ。世襲批判なんてするのは簡単だけど、逆に言えば外からの人材が流れ込んでこないということじゃないか。

 もう当分国政選挙はない。だから、政治のことはしばらく忘れていられる。でも、もっと関心を持たなくちゃいけない。優秀な人に登場し、活躍してもらうためにはどうしたらいいのか、そのシステムを構築していかなくちゃだめだ。「何のために?」といったら、まあぼくたち国民にとって何ものにも代え難い愚行権を守るため……なんだか、楽をするために努力を惜しまないような、変な結論になってしまうんだけどね。