ゲームは究極の科学なり

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長島ランニングレポート(2)

 歴史好きにとって、長島はロマンあふれる場所だ。織田信長の“天下取りロングマーチ”の重要ターニングポイント、「長島合戦」の舞台だからだ。木曽川の流れに守られた5つの砦に立てこもった一向宗門徒、これに対し信長軍は容赦ない包囲殲滅戦を展開、最後はジェノサイド戦術をとって、その後の戦のあり方すら変えてしまった。

 問題は、そうしたロマンの跡が、痕跡としてすら全く見つからないということ。これは、地形が変わったとかそういうレベルじゃなくて、土地そのものが完全に作り変えられてしまっているせいだ。

 元々このあたりは木曽三川のデルタ地帯で、大小様々な中洲が点在していた。江戸時代から何度も治水工事や干拓事業を行っていて、流れを変えたり、中洲をつなげたり、浅瀬を陸地にしたりを繰り返した結果、今の地形になっている。本願寺側が立てこもった5砦というのがどこなのかすら、GPSの座標データとしてしか表現できないほどだ。

 司馬遼太郎街道をゆく」にこの辺が出てくるのかどうかは知らない。あるとしたら、読んでみたいものだ。この書きようのない土地を、司馬先生ならどんなふうに書けるんだろうか。『センゴク』にも、おなじみのナレーション「だが、この通説には疑問が残る!」がないし、作者の宮下英樹さんも、実際に見に来て頭抱えたんじゃないかな。


 長島は、今は桑名市の一部ってことになっている。その前は「桑名郡長島町」で、県で言えば三重だ。ただ、歴史的には、ここまでが尾張だったらしい。

 実際、言葉も揖斐川長良川(両川はちょうどこの辺りで合流している)を境に変わってしまう。東京の人は勘違いしているけど、名古屋は東国だ。言葉、味付け、受けるギャグ、全てがくっきりと違う。東国と西国を分ける境界線は不破の関、つまり関が原になる。ここから若干曖昧な線を南下して揖斐川に至り、後は海に注ぐまで続く。

 こういう文化的な話も、司馬さんなら魅力的に描くだろう。ぼくが描けるのは散文的な事実が一つ。伊勢うどんを食べたかったのに、メニューが完全に名古屋で、ずっこけてしまった。