ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

ぼくが弁理士をめざす理由(5)

 法律は、専門家集団が作る。

 官僚が原案をまとめ、政治家が議会で議決することで決まるから、この二者だけしか見えていない低レベルな論者も少なくないけど、決定プロセスの実体部分を担っているのは、専門家集団……具体的には、学者、実務家、官僚だ。彼らは、自分の意見を述べたり、集まって話しあったりを、公式・非公式を問わず積み重ね、概ねの合意をとって、原案をまとめる。この中で、特に重要なのが、実務家カテゴリー。その分野ならではの問題をいちばんわかっているのが彼らで、弁護士やそれ以外のサムライ業、そして各分野の生産的な仕事をしている人たちということになる。

 で、気になるのはここだ。著作権法の場合、その中にゲーム屋はいるんだろうか

 作家や音楽家はいる。彼らはしばしば業界団体を背負っているし、知名度から来る大きな発信力を持っていて、マスコミを通じても自分たちの主張を展開できる立場だ。そして、出版社やレコード会社も、大きな影響力を持っている。ゲームパブリッシャーはどうかというと、結局彼らは頂点のところでは音楽や映画の産業と同じになるため、当然参加していることになる。だけど、ゲーム屋……特にクリエイターは、どうにもいるような気がしない。

 著作権というのは、強力な権利だ。そして、創作が「新しい」を追求するものであることから、新カテゴリーの創作物も次々と登場する。

 ただ、誰かが権利を持つということは、他の誰かが義務を課せられるということでもある。新しい権利が認められるということは、誰かに新しい義務を課すということになる。それを決める専門家集団に、ゲームクリエイターがいないのだ。

 かくして、パブリッシャーは次々と新しい権利を獲得する。その反対側で、クリエイターやプレイヤーには、新しい義務が課せられていくのだ。自分もあずかり知らぬままに。