ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

ぼくが弁理士をめざす理由(7)

 そんなわけで、問題の多い現在の制度、これが健全に解決されなければならず、そのためには意思決定中枢にゲームクリエイター畑の出身者が入り込んでいないといけない。これが、大きな視点でぼくが感じているプロブレムだ。

 だけど、自分自身の問題として捉えているのは、もっと近いところの話。クリエイターたちの守り手という視点だ。

 法は平等だ。駆け出しの新人クリエイターも、業界を支配するメガ企業も、法のもとでは平等になってしまう。対等な立場を与えられ、自由意志に基いて契約……これが公正なものになるわけがない。また、インディーズ作家がいきなり大企業から「法的措置うんぬん」と恫喝的な内容証明郵便を受け取る可能性だってついてまわる。それを恐れるあまり活動が萎縮してしまったのでは、新しいものが生まれない。

 知財を専門にするサムライ業は弁理士しかない。だから、直接的には弁理士が守り手になるべきだろう。でも実はここに根本的なミスマッチがある。

 知財こと知的財産権法というシステムは、特許を中心とした工業所有権と、文化的創作を対象とする著作権という、大きく2つの法体系によって成立している。だけど、弁理士というのは、基本的に前者に偏った仕事なのだ。試験問題も特許の比重が大きく、著作権法なんて、論文式から先は選択科目のひとつでしかない。

 現実の弁理士は、その多くが元エンジニアだ。理系エリートには、大学院生から研究開発職と進むキャリアラダーがある。今弁理士をしている人の多くは、そのどこかで特許実務を体験、やがて立場を変える形で弁理士になった人たちだ。出身系統別でいうと、合格者の82.9%が理工系となっている(2014年特許庁発表統計)。

 こういう状況だからこそ、著作権を専門とする弁理士が必要だと思うのだ。もちろん、ぼくじゃなくちゃできない仕事じゃない。でも、この問題はゲームデザイン学の確立とは違って、何人いてもじゃまになるということはない。そして、ぼくがやるというのは、客観的にみても、結構悪くない話なのだ。法律の学士号とデザインの修士号を持ち、会社員とフリーランスの両方でゲームクリエイター(企画職)を勤めたことのある、専門学校の専任教員……。こんな人、なかなかいないよ。