ゲームは究極の科学なり

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ぼくが弁理士をめざす理由(終)

 受験にまつわる苦労話も、合格してしまえば「いい思い出」だ。そして体験記の結びには「諦めずに受け続けろ」なんて書いてある。そりゃそうだよね。受け続けなかったら、受かるわけなんてない。でも、それは宝くじの高額当選者だって同じだと思うのだ。たまたま拾った3枚が大当たり……なんてことはなく、当選者はほぼ例外なく勤勉に買い続けてきた人たちだ。ジャンボ宝くじは1パック3千円。それを10パックも買いこむのを年3回欠かさず続けてきて、栄冠に浴している。その何百万倍もの「努力だけをし続けた」人を尻目に、ね。

 「がんばる」は、必要条件ではあっても、十分条件ではない。ぼくにとって「何年やっても受からない」ことは、結構蓋然性の高い事実だ。というのも、そういう例をいっぱい見てきたからだ。

 大学では、司法試験が名物だった。旧司法試験の時代で、この合格を目指して四六時中机に向かっているような連中が、キャンパスの中にはたくさんいた。まず受験サークルというのが十数個存在する。文化会・体育会と並ぶカテゴリーとして大学に公認され、サークル棟をまるごとひとつ与えられていた。ここに属している連中はひたすら部室に籠もり(授業にもあまり出ない)、与えられた机に向かって勉強をする。

 彼らはある意味エリート階級だ。でも、ここの学生でも、在学中に合格できるのは例外的少数派だ。良くて4・5年、ふつうは6・7年、卒業後も勉強し続け、やっと合格する。一方、そこに入れてもらえない(入会試験があるのだ)連中もいる。彼らの居場所は図書館で、自習室に住み着くように居座っている。

 大学全体での受験者は、毎年数千人だった。大半は記念受験だろうけど、でも数百人は本気だろう。その中で合格するのは、数十人だけだ。

 また、役人時代の経験もある。後半2年間は独身寮に住んだのだけど、予備校教材がゴミ捨て場に積まれているのを、複数回見たことがある。実際、学校警備の職員には、司法試験受験生が多かったのだ。時間がたっぷり使えるからと、警備職になる。でも大半の職員は、10年経っても警備職のままだ。

 弁理士試験は、旧司法試験ほどには難しくないはずだ。でも合格率が一桁である点は変わらない。


 ……なんて、最後はいまいち景気の悪い話になってしまったけど、これが現実。そういう現実を踏まえた上で、ぼくは弁理士をめざす。どのみちすぐには合格できないが(今は短答式に絞り込んでいる)、今回ばかりは持ち前の「諦め力」に蓋をしてみよう。