ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

テニスについて少々(2)

 テニスファンとしての『世代』は、「王者といえば?」への答えで分けられるだろう。

 ぼくにとっては、コナーズだった。ただ、実際にはもうマッケンローへの世代交代が進んでいたころだ。そのマッケンローは、既存のスタイルにこだわらない奔放さが持ち味で、「悪童」なんて通称があった。カリスマに溢れていたけど、まあ“王者”って感じじゃない。

 そのマッケンローと激しく争っていたのが、イワン・レンドル。まだソビエト連邦があった時代で、まあ実際にはずっとアメリカ拠点で活動していたのだけど、なんとなくその強面軍事国家としての側面を象徴しているように思えたのだ。

 やがて、これに継ぐ若い世代が登場してくる。筆頭が、ボリス・ベッカーだ。彼はひたすら強かった。試合が巧いとか技術が優れているとかじゃない。打撃力、あるいは破壊力として、とにかく強いのだ。それを支えるのは頑強な肉体。金髪碧眼でもあり、村上龍さんは「まさにヒトラーが夢見たアーリア人種」なんて評していた。今こんな例え使ったら、作家といえども危なそうなんだけどね。でも、すぐにクーリエ、アガシサンプラスの時代が来る。マイケル・チャンもその時代の人だ。まあ国籍はみんなアメリカなんだけどねぇ。ヒトラーの夢、残念。

 今なら、フェデラーだろう。そして、王者を脅かす存在として、ナダルジョコビッチ。この3人の「誰かが王者」時代がしばらく続くのか、それとも次の世代から王者が現れ、3人まとめて過去の人にしてしまうのか。まあ、世代交代だけは必ずあるから、楽しみではある。

 試合を見ていて思うのだけど、最近は、ベースライン上での打ち合いが多い。これがまた、いかにも王者という感じがあるのだ。昔は、サービス直後にネット際にダッシュするスタイルが、けっこうメジャーだった。マッケンローに「強いけど王者じゃないよね」感があったのも、それだろう。勝ち方がコスくて、まあそれも“悪童”の魅力の一つだけど、王道と覇道の違いってとこだね。