ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

テニスについて少々(5)

 書き溜めが多いこのブログだけど、今回のシリーズはだいたい前日ぐらいに書いてる。今この文章を書いている数時間前、錦織選手が準々決勝進出を決めた。今回のシリーズは、気分的に、終わったところで終わりかなと思っていて、だからまだしばらく続くことにもなりそうだ。

 まあ、こういうペースで書いていると、校正もそんなに丁寧じゃない。これでも物書きの端くれだから、自分の意図がきちんと伝わってるか、あらゆる角度から読み返すのが習慣になってる。だけど、時間がないとなると、そういうわけにも行かない。

 で、あらためて読み返してみると、まるでテニスをボロクソに言ってるように読めちゃいますね。でも、ぼくにとってテニスは、むしろドゥスポーツなのだ。つまり、テニスする人の一員として、自分の属するコミュニティを論じているんであって、いわば「ここがダメだよ、日本人!」論を熱く打つ心理と変わらない。別に売国奴だからじゃないし、隣国に媚びてるわけでもない。

 とはいえ、王道を進んできた人たちとは違う風景が見えていることも事実なのだ。

 プレイする以上、強くなりたかった。せっせと練習した結果、それなりに巧くなった。で、気づいたんだね。いくら巧くなっても、勝てる勝てないは別次元の問題だってことに。そして、夢中になっていく過程では全然気づかなかった、テニスという競技のいろいろな特徴にも気づくようになった。

 勝てるようになったプレイヤーは、勝たないことには喜びが感じられないんだろう。体育会的な価値観はこれだ。最初から勝敗のないところでテニスを成立させてきたぼくの場合は違う。結局、彼らから見れば「おまえなんか身内じゃねーよ!」になりそうだ。まあ、これはしかたないかな。