ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

テニスについて少々(7)

 錦織選手が負けてしまった。奇しくも少し前に指摘したとおりで、「僅かな実力差が決定的な違いとなって現れる」という、テニスならではのシビアな特徴がみごとに発揮されてしまった結果だ。

 活躍にあわせて書き綴って来たこのシリーズ、ここらで終えるのが筋なのだが、ゲームの話題に移ったばかりだ。これが一段落するまでは続けてみよう。


 さて、『燃えプロ』(この略称の場合、“野球”の方だけを意味します)だが、実は今でも話題に上るタイトルだ。でも、正直なところ、いい評判じゃない。「ク〇ゲー」とまで言い切られはしないものの、バカゲー扱いされる傾向があるのだ。象徴する言葉が、“バントでホームラン”。おそらくはゲームデザイン上の“攻め”なのだろうけど、選手の強さを強調する形でシステムが作られていて、その結果、各チームのトップ強打者になると、バントでもホームランが出てしまうのだ。こうなると、リアルボイスというのも、むしろ滑稽さを引き立てる要素に過ぎなくなる。

 結局『燃えテニ』も、そんな『燃えプロ』の延長として認知されたのだろう。ただ、『燃えプロ』の方を当時知らなかったぼくとしては、そんな偏見を持つこともなかった。

 『燃えテニ』最大の特徴は、操作性にある。

 ファミコン時代のゲームは、基本的に「おもちゃ」だ。キーを入れればキャラは動き、離せば止まる。任天堂の自社製ソフトとして、そのものずばり『テニス』というタイトルがあったけど、まさにそういう操作感のゲームだ。でも『燃えテニ』は違っていた。キーを離しても、二三歩は惰性で動くのだ。初動も同じで、キー入力と同時にトップスピードなんてことはない。二次曲線的に加速していく。

 ボールに近寄りすぎて打てなくなるなんてのは現実のテニスでもよくやってしまうミスだけど、『燃えテニ』ではこれが起きる。来たボールに合わせていたのでは遅すぎ、相手が打った時点からボールの来るところを読んで行動しなければならない。

 このゲームのテーマは「リアル」にある。全力ダッシュした人間が瞬間的にぴたっと静止できたのではおかしい。実在選手によく似たキャラを使っていたし、ボイスも付いていた。だけど、追求した“リアル”にとって本質的なのはそちらではなく、キャラの動きの方。そしてそれを通じて再現したいテニスのプレイアビリティの方だ。つまり、シミュレーションモデルが組み込まれている、ということなのだ。

 だけど、世間の評価はとてつもなく悪かった。せっかくのシミュレーションモデルも、当時のゲーマーにとっては「操作性が悪い」と切り捨てられてしまうものだったのだ。スーファミの時代になってから出版されたファミ通の年鑑でも、星ひとつの扱いだ。