ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

空分補給!


 羽田から名古屋まで、飛行機で帰ってきた。
 早割で買ったから、チケット代は7千円。そして、時刻表上の所要時間(ゲートからゲートまで)は60分。新幹線に比べるとどちらも30%程度のオフで、そう考えるととってもお値打ちってことになる。でも、本気でそう思う人もいないだろう。
 飛行機というのは、飛び込み乗機はできない。搭乗手続き自体は楽になったけど、手荷物預けようと思ったら、グラウンドスタッフの世話にならないといけないし、乗るためには保安ゲートも通らないといけないから、実際にはかなり早く空港に到着していないとだめだ。そして降りた後も簡単じゃない。荷物預けてたりすると、あの回転寿司のをでかくしたようなベルトコンベアの前で、延々と待つはめになる。結局、1時間のフライトのために、1時間ぐらいの手間が必要なのだ。加えて、羽田までの分と中部空港からの分の、空港アクセスもかかる。
 だいたい乗り遅れた時のリスクがでかすぎる。新幹線なら、一本後のにすればいい。東京を出る「ひかり」以上なら、必ず名古屋には停まるのだから。でも飛行機の名古屋行きだと、始発が既に最終便だ(ANAの場合。JALだと、朝夕に1便ずつ飛びます)。自宅が知多にあるのでもない限り、東京からの帰路にあえてこんな方法を選ぶのは、よほどの物好きぐらいだろう。
 この羽田/名古屋線が飛び始めたのは、わりと最近の話だ。「よほどの物好き」が増えたからじゃない。羽田発の国際線が復活したせいだ。元々ANAの場合、ハブ&スポーク方式をとっていて、大半の国際線が東京発になる。それを補う意味で、乗り継ぎ用の国内線を全国の地方空港との間に設けていた。だから、成田・名古屋間は、ずっとまえから飛んでいたのだ。
 でもぼくの場合は、この「よほどの物好き」の方になる。物好き的視点から、ちょっと飛行機を論じてみよう。



 なんで飛行機に乗りたいのか。それは、飛ぶからだ。
 飛行機は、飛ぶ。そういう乗り物は他にもないわけじゃないけど、一般人が旅に使えるのは飛行機だけだ。
 空を飛ぶ……言っちゃなんだけど、まともな感性を持つ人間なら、子供の頃に一度は飛ぶことを夢見ていたはずだ。飛行機での旅行は、それをリーズナブルに現実化する手段だ。そして、「遠い土地に移動できる」なんていう余録までついてくる。
 もちろん、子供の頃に夢見ていたのとは、かなり違うだろう。鳥に変身するか、魔法の力を使うか、あるいは傘にぶらさがるとか、巨大UMAの毛むくじゃらな腹につかまるとか。男の子なら、スーパーヒーローになるなんて方法もある。それでも、年齢が上がってくれば、機械的方法での飛行が、夢の内容に代わってくる。子供の頃、大人になった時点での自分が自家用機の免許を持ち、飛行を楽しんでいるということを、ぼくは疑っていなかった。そして、飛行機のパイロットというのも現実的な職業の選択肢だと思っていたし、「できれば戦闘機がいい」なんて思ってもいた。
 幸いにして、今の時代はフライトシミュレーターがある。だから「空を思うがままに飛び回る」部分と、「空中に自分の体を浮揚させる」部分は、別々に体験できる。
 そして、この飛ぶという一点から、他のいろいろな特徴が導かれる。それもまた、飛ぶことの魅力なのだ。



 乗り物としての飛行機、これは序破急だ。
 まず、搭乗するところから違う。電車のホームはただの土手だけど、飛行機のボーディングブリッジは、まさに異界へのゲートって感じ。その雰囲気が既に特別なのだ。開いたハッチを(ドアなんて呼びたくないね)くぐり、機内へ。自分の席に付き、シートベルトを締める。その間、エンジンは静かな唸り声をあげているし、機体もかすかに震えてる。やがてしずしずとゲートを離れ、手をふる整備員の皆さんの見送りを受けつつ、誘導路へ向かう。
 そんな“序”が終わるのは、滑走路に出た時だ。突如エンジンが爆音を上げる。それまでも騒音を感じていたのだけど、あんなのは囁き声に過ぎなかったのだと気づく瞬間だ。そして一瞬の後、ぼくたちの体はシートに押し付けられる。公共交通機関では唯一無二の暴力的な加速のはじまりだ。滑走中も、ぼくたちの五感は揺さぶり続けられる。機体がミシミシを音を立てながら走って行く。
 だけどそんな緊張感は、ふっと解放される。離陸の瞬間だ。窓の外を見ると、急角度で風景が流れていく。加速感はあいかわらずだけど、もうさっきまでのような軋みはない。そしていつしか、加速しているのか角度のせいなのかも、わからなくなっていく。
 このように、飛行機に乗るというのは、他の手段では得られない体験なのだ。
 また、乗客の一人ひとりが個人として特定される点も、飛行機ならではの特徴といえるだろう。搭乗手続きを行い、必要に応じて荷物を預け、実際に搭乗する…その流れの全てが、パーソナライズされる。もし、搭乗手続きを済ませながら乗らないでいたりすると、大騒動。
 「名古屋行き***便にご登場予定の山田様、
  こちらにいらっしゃいませんか!?」
 なんて感じで、待合エリアをグラウンドクルーが走り回るし、出発時間がそれで遅れることだってある。新幹線には、こんなのない。乗客なんて、ただの人数だ。
 ところで、この時トイレできばってたりしたら、きまり悪いだろうね。



 乗るという前提で書いたけど、実際には、眺めているだけでも楽しい。
 飛行機が飛んでいる姿、これはいつだって見られる。ただ、何千メートルかの上空にいる姿で、見上げた空の中では、ただの点でしかない。きちんと見たかったら、空港に行くしかない。
 中部空港は、この点ではけっこう恵まれている。ターミナルがT字型で、滑走路に向かって突き出しているのだ。これが羽田だと、ターミナルと滑走路は遠く離れていて、しかも必ず離着陸が見られるわけじゃない。羽田の2本ずつ2組ある滑走路は、どちらかの対が離陸に使っているときは、もう一方の対が着陸専用になる(風向きによって変える)からだ。
 この点、中部空港は何しろ滑走路が1本しかない。屋上はずっと展望台になっているから、かなり近くまで寄れる(地図で見ると、200メートルちょっと)。全長3500メートルの滑走路のほぼ真ん中あたりで、だいたいこのへんで離着陸するから、見物するには絶好のポイントだ。
 遠い滑走路端にいる飛行機が、ふと動き出す。少し遅れて爆音が聞こえてくる。そして気づくとそれはぐんぐんと加速している。次第に近づき、音も追いつく。そして目の前まで来てふわりと浮かび上がり、急角度で舞い上がっていく。このときも、見かけの速度はとにかくゆっくりだったりして(縮尺がヘンだからね)、それがまたこの世のものとも思えない存在感を主張している。どれだけ見ていても、飽きない光景だ。
 ただ、ひとつ残念なことが。
 近年、肝心の飛行機が、ずいぶん小さくなってしまっている。
 元々中部空港は、ジャンボジェットの少ない空港だった。それがあっという間にいなくなり、今では737ばっかりだ。ドリームリフターっていう、747ベースの笑える形の輸送機はここに常駐している。ただ、そう頻繁に離着陸するわけじゃない(ぼくはまだ動いているのすら見たことがない)。エアバスA380なんて、悪天候避難で立ち寄っただけ。路線就航がないまま、今では日本乗り入れ自体がなくなってしまっているらしい。



 飛行機の話を書いていたら、台湾でとんでもない事故が起きてしまった。
 昔から「航空事故は友を呼ぶ」という現象が知られている。マレーシア航空機が失踪し、さらに撃墜されたかと思えば、そのマレーシア航空を経営的に追い詰め続けていたエア・アジアまでもが墜落するという、どうにも洒落にならない事態に陥っていた昨今。墜落の神は、マレーシアから台湾へと本拠地を移したんだろうか。このまま北上するのは、かんべんして欲しいのだけど。
 今回の事故は、片肺飛行を余儀なくされたプロペラ双発機が操縦不能に陥ったもののようだ。事故そのものの規模は、ここのところ続いたものに比べればちいさいけど、映像のインパクトときたらない。以前、伊丹空港の近くの高速を走っていて、あまりに近いところに飛行機が飛んできて、肝を冷やしたことがある。あれがロールうって主翼こすりつけながら通過していったようなものだ。
 さて、「規模はちいさい」なんてうっかり書いてしまったけど、このへんが航空事故の怖いところだ。通常、乗客乗員は全滅する。737なら200人、777なら300人。パイロットやキャビンアテンダントのようなスタッフだって例外ではなく、またファーストもエコノミーもなく、みんな平等に全滅する。現時点での報道は、58人の乗客乗員のうち、死者25人・救出された生存者15名とか。残りは機内に水没した取り残されていて「救出中」とのことだけど、まあ常識的に言って「回収中」だろう。でも、最大値をとったとしても40人程度ということで、これは航空事故の分野では、うんと少ない数と言っていいのだ。
  「こんなことまでおきるのに、
   あんたそんなに飛行機乗りたいんですか?」
 なんて、言われちゃいそうだね。序破急の“急”が“急転直下”ってんじゃ、しゃれになんないもんね。



 落ちてくることを前提にしてしまうと、飛行機というのは「恐れ」の対象だ。でも、とりあえずそのことは棚に上げておこう。その上で、ぼくが感じるのは「畏れ」の方だ。
 飛び上がる飛行機を見るたびに、ぼくはそれを感じている。あんなでかいものが空を飛んでいるということに、畏敬の念を禁じ得ないのだ。
 元々、ぼくたち日本人は、大きい物に対して素直にそれを感じてきた。山とか岩とかがそうだし、樹木なんかもそうだ。ふつうのサイズである分にはなんてことない一介の植物に過ぎない。でも大きくなると、いつのまにか神様になってしまう。もちろん、飛行機は自然の産物じゃない。でも、十分にそういう資格があると思うのだ。しめ縄を付けても、飛んでっちゃうだろうけど。
 もう少し冷静になったとしたら、感じるのは人類の凄さだ。
 飛行機は凄い。あんなに大きいのに空をとぶ。でも本当にすごいのは、人間がこんな凄いものを作り、あたりまえのように運用しているという事実なのだ。数十メートルの長さと幅を持ち、中に500人もの人間をのせて、1万メートルの上空を音速に近い速度で10数時間にわたって飛び続ける。こんなカタログデータでもじゅうぶんに凄いことだけど、それをシステムとして確実に運用できている点が本当の凄さだ。
 世界の空を飛ぶ飛行機の昆虫軍的な迫力は、『Flight Rader』を観てみるといい。iPad/iPhoneのアプリになっているけど、ウェブでもみることができる。実際、民間航空だけでも、その数、年間2千万便とか。
 もちろん、電車は電車なりに凄いんだろう。だけど飛行機の場合、何と言っても常に真剣勝負なのだ。途中で止まっても、立ち往生できるような余裕はないのだから。