ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

平気で半世紀なわけですよ

 BSをつけたら、『007ゴールドフィンガー』をやっていて、つい見入ってしまった。

 公開は64年だから、すごいもの。ショーン・コネリーの若さ。悪役の陳腐さ。出てくる車の古さ。どれも時の流れを感じさせて、最高だ。それに作品内容にも遠慮がない。今のハリウッド映画とは違い、女でも平気で殺されるし、人種差別批判だって全然気にしてないのだ(わらわらといる戦闘員が全部中国人で、ほとんど奴隷のように働かされてる)。また、銃が変だ。撃ち方もおかしいし、銃声がまたおかしい。なんだよ、これー!…なんて歓声上げながら、つい最後まで観てしまった。

 昔のテレビの映画では、いくつか定番があったものだ。007なんてその代表格で、子供の頃から何度見たのかわからない。『大脱走』とか『史上最大の作戦』みたいな戦争映画もそうだし、『シェーン』や『荒野の7人』なんかもそうだ。マンネリといえばそうかも知れない。だけど、古典ってそんなもんでしょ? 歌舞伎だって能狂言だって、観客の大半が筋もオチも知っているけど、みんな楽しんで観てる。世代を超えた共通文化、それが古典だ。

 テレビの映画が下火になり、反面コンテンツは爆発的に増え、定番の消滅が進んで久しい。放映されるものときたら、たいていは続編の封切りに合わせた“地上波初放映”ばかり。このままでは、古典としての映画は消滅してしまうだろう。クリエイターをめざすのなら、それを自分の力で乗り越えないと!

 ……とはいうものの、映画を観ていて思ったのだ。過去何度も見ているはずなのに、全然ストーリーが思い出せなかったのだ。こんなんじゃ、世代を超えた共通文化なんて、言いようがないなあ。