ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

平気で半世紀なわけですよ(4)

 ジャック・ライアンにはなれなかったけど、資本主義社会というのは、お金さえあればなんだってできる。バブル期ならではの恵まれた収入を使い、民間ベースで公開されている各国国防情報(早い話がミリタリー情報誌だね)をせっせと集めていった。

  「ぼくは政治学科卒。国際戦略は、自分の専門領域でね。

   別に兵器が好きなわけじゃない。

   ただ、戦争を分析するためには、兵器を知っておく必要があるんだ」

 嘘ですね。兵器が好きじゃなきゃ、国際戦略なんてやんないって。

 ただ、子供じゃないから「飛行機かっきー!」では終わらない。どう使われるのかを考えていると、自然とシステムに行き着く。さらには軍事史とか戦術論とかにも、興味は及んでいく。実際には学生時代から始めていたのだけど(その頃は『マンガ描くときの資料』というのが言い訳だった)、若さならではの脳力を無駄に発揮、全く生産性のないデータ蒐集&脳内シミュレーションを積み重ねていった。

 ところが、このモグリの分析官が、突然脚光を浴びる日がやってきたのだ。

 湾岸戦争だ。

 サダム・フセインクウェートを軍事占領したことから始まる湾岸危機は、アメリカ側も一歩も引かず、世界は「いつ開戦か」に向けてかたずを飲んでいた。職場の話題も、それ一色に染まっていく。ただ、ふつうの社会人にとって、イラクも最新兵器も遠い存在だ。でもぼくにとっては、どちらもよく知っている話。健全な先輩・同僚たちの知らない専門用語を鮮やかに解説してのけた。

 あのとき、日本中の軍事マニアは、誇らしい思いをできたんだろうね。ただ、マスコミ近くにもそういう人は多かったんだろう。報道番組にわらわらと“軍事評論家”が現れた。そして、従来からいた知識人たちは、こんな皮肉なコメントを残した。

  「なんであの人達は、武器とか戦争とかを

   あんなに楽しそうに語るんだろうか」

 そう言われてしまうと、廉恥心が頭をもたげてきてしまう。