ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

平気で半世紀なわけですよ(終)

 今、フィクションの世界でいちばん活躍しているスパイといったら、『ミッション・インポッシブル』のイーサン・ハントだろう。ただ、彼の場合、あまりにも能力が高すぎて、現実的な憧れの対象にはならない。『ゴールドフィンガー』を観て思ったのは、ジェームズ・ボンドというのが案外等身大のヒーローだということ。間抜けた失敗もするし、敵に捕まり、レーザー光線の処刑装置で殺されそうになって焦りまくったりもする。これがイーサンなら全部がコントロール下。「殺されたのは実はマスク被せてた敵の部下」なんてことになるんだろう。

 ゲームの題材として見た場合、「スパイもの」はどうなんだろうか。

 8ビット機の時代に『スパイvsスパイ』なんてのがあったけど、あれはアクションゲームで、スパイというネタも、スキンをデザインするためのモチーフに過ぎない。でも、今作っても、やはり同じようなものになってしまうだろう。トム・クランシー作品もゲームになっているけど、原作は『レインボーシックス』の方だ。

 思えば、情報分析官モードでも、最近のゲームは不毛だ。バブル時代のプチ・ライアンを支えていたものが『大戦略』のような戦争シミュレーションだった。これがあるから、兵器の性能とか運用とかも、実証的に体験できたわけだ。でも、今戦争がゲームの題材になるとき、プレイヤーの立ち位置は歩兵だ。自動小銃とか迫撃砲とか持って、敵味方入り乱れて撃ちあうゲームが主流になっている。コンピュータの性能は格段に向上したのに、それを「リアルなドンパチ」だけにしか使っていないわけで、この状況は情けない。

 ところで、この記事の裏をとっているうちに、トム・クランシーに関するこんな記事を見つけた。

 このあたりを織り交ぜた話は、またいつか。