ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

赤い帽子とくれば


 "メーカーズマーク"という酒がある。ケンタッキーで作られるコーンを主原料にしたウィスキー―いわゆるバーボンだ。ハンドメイドでの生産をひたすら守り続けている、アメリカ有数の老舗ブランドでもある。そして、そのハンドメイド性を象徴するのが、キャップの封印。職人が一本ずつ手作業で蝋の封印を施していくものなのだ。色は赤。溶けたそれが幾筋も流れ落ち、ボトルネックを彩っている。
 その赤いタレを何度も見ているうちに、飲んでみたくなっていた。そして、近所の酒屋でふだんよりも安くなっているのを見つけ、つい買ってしまった。
 なかなかおいしい。バーボンってのはどうにもハードボイルドな雰囲気があるんだけど、メーカーズマークは華やかだ。豊かで多彩な香りが、口から鼻へと抜けていく。とはいえ、やっぱりバーボンらしい辛口っぽさはあって、その取り合わせがまたいい感じだったりする。いやー、いい買い物だったねえ……と、思っていたのだ。
 ところが、ロックにしてみてびっくり。まるで単なるアルコールのようになってしまったのだ。香りはほとんど感じられず、その一方でアルコール度数のキツさが際立ってくる。バーボンってのはロックで飲むものだと、なんとなく思っていた。でも、マーロウが氷の入ったグラスを揺らすシーンなんて、あっただろうか。なんとなくあるような気がしてしまっていただけかもしれない。



 この文章を書いている「今日」は、発表の時制から言うと「昨日」になる。どっちに合わせるべきか悩むんだけど、まあとにかくバレンタインデーだ。
 ウィスキーの世界では、この日になると『バランタイン』が売られる。それって、違うんだけど……なんて文句つけるまでもないよね。バレンタインにはバランタイン、これはもう確立してしまったカップリングだ。
 ウィスキーというのは物語だなと、いつも思う。飲み物ではあるんだけど、味を楽しむというよりは、物語として鑑賞するって感覚が正しい。それは「どのように作られたのか」という話でもあるし、ブランドそのものの成り立ちでもある。そして、ユーザーたちが作り上げてきたイメージもある。紳士の嗜みにはスコッチを、ハードボイルドな生き方にはバーボンを。
 小説に古典があるように、ウィスキーにも「誰もが一度は飲んでおくべきもの」がある。『ジョニーウォーカー』や『オールドパー』、そして『ジムビーム』や『オールド』なんてあたり。それぞれについてくる能書きがあり、会社の歴史がある。
 味そのものは、個別に違うとはいえ、意味を見出すのは困難だ。でもそうしたナラティブ(=物語の構成要素)が入り込むことで、活き活きとした標識が与えられる。
 バランタインの味は、バレンタインに合うんだろうか。正直、よくわからない。『ジェムスン』なら悪くないと思うけどね。『響』は、もう少し関係が深くなった状況に合うんじゃないかな。でも、積み重ねていくうちに、その事実もバランタインの物語の中に組み込まれていくのだ。それはそれで、いいんじゃないかと思う。何にしても、製造者に全てをコントロールする権利があるわけじゃない。



 ウィスキーと本は、以外な共通性がある。
 しばしば書いていることだけど、ぼくはウィスキー派であるのと同時に、アルコールにとても弱い。ショットグラスかテイスティンググラスに若干量、たまに飲むだけだ。こういう状態だから、一度ボトルを買うと、何ヶ月もの間居座り続けることになる。既に、酒置き場には『シーバスリーガル』と『響』があるのにも関わらず(さらに言えば、別の蒸留酒、『ビーフィーター』と『マイヤーズラム』も残っている)、『メーカーズマーク』を買ってしまった。
 でも、飲める人だって、必要分だけ置いておくなんてことはないだろう。棚にずらりと並べるのは、ウィスキーとのつきあいかたとして、ごくあたりまえだ。
 本にだって、図書館派の人はいる。彼らにとっては、読む経験だけが本の価値だ。それはそれでいいんだろう。ぼくはそうではない。本は、読むのと同時に所有もしたい。たとえ、ほとんど読み返すことがないにしても。そしてウィスキーも並べておきたいのだ。単なるコレクションとは違う。実際に体験したいから。なので封を切り、味わいもする。本を紐解くのと同じように。
 まあ、ウィスキーは本のような情報財じゃないから、飲めば減ってしまうし、封を開ければ、少しずつ蒸発していってしまう。風味だって変質するだろうし。友達を呼んでふるまえばいいんだろうね。これは、本にはできない楽しみ方だ。



 アメリカンウィスキーでいちど手にしてみたいものに『デビルズシェア』がある。
 ユニークなのはその外観。ウィスキーのくせに、無色透明なのだ。アメリカンウィスキーには「ムーンシャイン」という家庭内密造酒を起源とするカテゴリーがあって、それに属するのだろうか。ちなみに、樽に入れて熟成させる期間に自然に減っていく分を「天使の取り分」という。商品名は、それにかけているんだろう。瓶にも、樽を担いでいく悪魔の絵が描かれている。
 CDの買い方に「ジャケ買い」なんてのがあるけど、こういうのは、それに近いかもしれない。でも、ユニークなジャケットには、理由がある。その理由に対する興味っていうのは、結局、ウィスキーそのものへの興味と同じだ。「物語」への一歩が、こうして始まる。
 それぞれの酒の成り立ちに興味が出てくると、もうそっち側に入り込んでいる。だいたいウィスキーへの興味がなかったら、グレートブリテンなんて全部ひっくるめて「イギリス」にすぎない。でも、それがあると、少なくともスコットランドは別の国だ。そしてもっと細かい地名…ハイランドとかアイラ島とか、そういうあたりまで気になるようになる。こうなると、それぞれの“味”への興味も、あと一歩だ。
 とはいうものの、ぼくの飲酒力ではどうにも数がこなせていないのが実情だ。こんなマイナー路線に走るまでもなく、有名なのにまだ未経験なものというのが少なくないのだ。いつもべた褒めする『響』だって、12年以外は飲んだことないのだ。それに『竹鶴』以外のニッカも知らないし、マルスとか明石とかイチローズモルトとか、単に「サントリー/ニッカでない」というだけの理由で興味津々だったりする。
 こういうのをひと通り揃えてみたい。でも、どう考えたって、一生かかっても飲みきれないだろうね。実際、1本あたり10ヶ月ぐらいになってしまっている。5年で6本。10年かかっても12本。じゃあ20年で24本行けるかっていうと、それは無理。終わり頃には爺さんだ。



 本との類否でウィスキーを語ってきたけど、実際、ウィスキーのうんちくの大半は、本を通じて得ているものだ。ただ、紙に味は印刷できない。そして、蒸留酒の味なんて、タバコの味と同じようなもので、全て暗喩に過ぎない。「甘くてフルーティー」なんて書かれてても、実際にはジュースよりも消毒薬の方に近いだろう。
 だからこそ楽しいんじゃないかとも思う。本に何が書いてあろうが、自分の飲み方で愉しめばいいんだから。
 ロックにした時の味の変化への驚き、これが今回あれこれ書くきっかけだった。でも、もしかしたらこれは初心者ならではの勇み足なのかもしれない。ぼくが顔をしかめた部分を、ベテランたちは高く評価しているかも。
  「あのね、あんた何もわかってないね。
   ロックにして、甘ったるい部分を飛ばして飲む、
   これが正しいバーボンとのつきあいかたなんだよ!」
 なんて、小言言われるかもね。でも、いいのだ。
 思わぬ味の変化ってことだと、山崎や響にもある。ぼくは基本ストレートだけど、サントリー(の高級品)は水割りがいちばんうまい。酒の持っているいい特性が、全て大きく広がっていく感じだ。
 現実、日本でのウィスキーの飲まれ方は、伝統的に水割り。だから、水で割っての旨さを追求しているのも納得できる。山口瞳さんは「ウィスキーを水で薄めるもんじゃねえ!」なんて小言をエッセイで書いてたけど、ようは、広報部員よりもブレンダーの方がお客さんのことを知っているってことかな。