ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

ほんとは256倍くらいかな(2)

 じっさいのところ、どうなんだろうか。

 まず1について。ゲーム開発は、たいへんだ。ただ、今ぼくが実際に接している志望者というのは、それが専門学校生だろうがそれ以外の人だろうが、たいていそう思っている。もちろんその想像は実際のたいへんさを具体的にイメージしてのものではないんだろうけど、それは全部の仕事に共通だろう。結局、「ゲーム開発は大変」ってことは、ある意味共通の理解になってると思うのだ。

 昔はそんなことはなくて、多くの志望者がゲームをなめていた。だいたい世間からも、理系の大学生とかエンジニアとかをしている持つパソコンマニアが小遣い稼ぎに本業の片手間で作るものだと信じられていたくらいだ(課長時代の島耕作の部下にも、そんな社員がいるね)。プロフェッショナルが作っているなんて言ったら、笑われたかもしれない。初歩の教科書のサンプル書き写しただけのようなプログラムで応募してくる高校生が、少なからずいたものだ。

 何で? なんて、明白だよね。情報量だ。昔は情報が乏しくて、それが実際にどういう仕事なのか、興味があっても突き止める手段がなかったのだ。今では、そんなことはない。会社も学校も、ゲーム作りについていろいろな形で情報を出している。ぼく自身、ちょっと前までそういうのを発信していたし、現役ゲーム屋の書いているサイトだって見つかるだろう。

 でも、その結果、ゲームの可能性は狭められてしまっているかもしれない。「年寄りじみた分別を持つ未熟者」ばかりが集まったんじゃ、何一つ良いことはない。その意味で、もっとゲームをなめてくれていたほうがいいんじゃないかとも思うのだ。