ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

ほんとは256倍くらいかな(3)

 話を本題に戻そう。

 2についても、実感とはちょっと違ってくる。修羅である期間なんて、せいぜい期間終盤1/4くらいじゃないだろうかと思うのだ。だいだい、期間の最初から三角目吊り上げてる開発部員なんてのが、イメージできない。むしろ、焦らなくちゃいけない局面になっても、のんきにしてる人が多いといえる。三角目は、そんな連中に仕事してもらわなくちゃいけない、プロデュース側の方だ。

 もちろん、確実に完成できる理論的な根拠を持ってるわけじゃなく、「ま、前も何とかなったんだし」程度のもの。実際にはデスマーチを演じたの結果なんだけど、その辛い思いはどこかに忘れて来てしまっている。基本的に、楽観主義者なのだ。そうじゃなきゃ、そもそもクリエイターなんて仕事、選ばないし。

 ただ、仕事量以外の意味での追い詰められる感はあるかもしれない。

 例えばタイトルとロゴには、いつも時間をかけさせられた。社長が納得すればその瞬間に決まるのだけど、なかなか納得してくれないのだ。もちろん、これは単に嫌がらせをしてるわけじゃない。実際、開発現場が使っていた仮タイトル&暫定ロゴがそのまま承認され、ゼロ秒で決定してしまったこともある。問題は、そういう使える水準の仮タイトルがまずついていないということ。

 プロデュース側がここを重大視するのは、タイトルが「商品の化身」だからにほかならない。でもクリエイターは「作品のなまえ」としてタイトルを付けている。考えた人の思い入れがこもっているし、だいたい使い続けてきたっていう実績も積み重なってるから、なかなか他の案なんて考えつかない。それどころか、違うものにすること自体への抵抗だって捨てられないのだ。

  「これでいいじゃないか!

   なんだって連中は納得しないんだ!」

 たとえ定時で終わろうと、これはストレスになる。そして同じようなことが、ストーリー関係とかキャラデザインとか、あらゆる局面に発生してくる。これは、修羅といえば言えるだろうね。