ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

ほんとは256倍くらいかな(5)

 さて、4はけっこう深刻な問題をはらんでいる。

 クリエイターは、確かに批評を読みたがる。雑誌のようなものはもちろん、ユーザーからの声も。でも、それはいいことなのだろうかというと、疑問だ。批評というのは、必ずしも肥やしになるわけじゃない。出したてほやほやの批評は、まだガスを放っていて、かえって有害だ。ツボの中に入れて熟成させてやらないと、畑に撒くことはできないだろう。

 ネガティブな評価に接すると、ふつう落ち込む。逆に褒められていると嬉しくなる。問題は、それをどう創作に反映するかということ。創作者は、自分自身の判断で作品を作らなければならない。だけど、批評に対してアドホックに応じていたのでは、「言われるままに作る」になってしまう。批判されればそれをやめ、賞賛されればそれをする……そんなやつ、クリエイターって呼べるだろうか。

 ぼくが会社にいた時代、PCにもまだゲーム雑誌があった。狭いコミュニティだから、そんなに辛辣な批評は乗らない。コンソールの方だと『ファミ通』とかあってたいへんなんだけど、会社は基本PCゲームのメーカーだったから、そんなに関係なかった。

 問題なのは顧客からの手紙だ。純粋なファンレターというのも結構届くし、“ご愛用者様カード”もやってくる。これを、クリエイターたちはみんな読みたがったのだ。でも先述の通り、肥やしになるとは限らない。だから、プロデューサー的には、見せるものと見せないものを厳選してやる必要があった。マンガの編集者は当然そういうことをしているけど、ゲームだって同じだ。

 でも、今はもうそういうこともできないだろうね。言わずと知れた、インターネットのせいだ。