ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

ほんとは256倍くらいかな(8)

 小学生のお兄ちゃんが叱られてるとき、幼稚園児の弟くんがお母さんの横に立ってたりする。この子の“自分の立ち位置”は、お母さんと同じだ。

  「そうだぞ、兄ちゃん、だめなんだぞ!」

 こんなこと言って後でお兄ちゃんにぶたれたりするわけで、こういうのは微笑ましいものだが、こどものやることなら何でも微笑ましいなんてことはない。大人が勇気を振り絞って「王様は裸だ!」と叫んだとき、そのすぐ近くにいた若者たちが「やっべー、まじやべ、裸じゃーん!」なんてついでに騒ぎ始めたとしたら、その光景はあんまり微笑ましくないだろう。結局、未熟者がする酷評なんてのは、そんなものにすぎない。

 ネット時代になる前からそういうのはある。昭和の文学青年なんてのは、絶対これだよね。ただ、当時の連中は居酒屋で仲間同士くだ巻いてる程度のことで、発信力はなかった。ここが今との決定的な違いだ。サイバー時代の文学青年(中年もだな)ときたら、勇気ある先人たちが作ってきたフォームをそのまま流用し、空疎な批評文を“拡散再生産”している。まさにコピペ世代だ。

 いまどきのネット掲示板のは、さらにもう一段階先に進んでしまっているんだろう。罵倒することが、もうその場のルールになっているわけだ。人間は、空気を読む。そして、その場において前提視されている態度をとる。敬語は使わないのがあたりまえだし、ゲームソフトは罵倒することが当たり前。本来そこは「真顔の冗談」という、エスプリを解するおとなだけの花園だったんだけど、無邪気な獣児たちに踏み荒らされてしまった。