ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

今では後悔してないけどね(2)

 自分の絵がどうにも好きになれない。これが原因だ。でもそのへん、ストレートじゃない。

 何が気に入らないのかというと、まず古いことだ。何しろいちばん熱中していたのが昭和の頃だ。すでに、赤ん坊がおとなになって自身の赤ん坊を産んだりするほどの年数が流れている。そして技術的にも不十分だ。当時のぼくは、得意な絵だけを描いて、得意になっていた。その結果、苦手な絵(ポーズやアングル)は完全にお留守。描き手としては致命的な欠点と言える。

 とはいえ、自分自身が「これって最低!」って本当に思ってるのなら、そもそも描きはしない。実際には、やっぱり好きなのだ。自分の顔を、気に入らないまでも嫌いにはなりきれないのと同じように。

 ここには「自分自身が意識する『他者から見た自分』」という、やっかいなやつがある。

 自分は、描いたものが好きだ。でも、他人の目から見ても魅力的であるとは思えない。そして「古い」という一点だけでも、笑われてしまいそうな気がする。となると、そんなものを得意になって描いている自分もが笑われる対象で、それはプロデューサー的な矜持が許さない……

 こんな入り組んだ心理からくるアンビバレンツは、ちょうどバイメタルの自動スイッチのように作動する。好きの回路がつながった瞬間弾け、嫌いの回路に変わってしまう。そんなことがぱちぱちと繰り返され、落ち着くことがない。最終的に残るのは、そういうものを全てなかったことにしてしまいたいような感情だ。