ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

今では後悔してないけどね(3)

 自分の絵が嫌いという現象、これは昔からそうだったわけじゃない。描いては自分でうっとりしていた時代だってあった。まあそういうのがなきゃ、マンガ家とか目指さないし。やがてマンガ家という志望は消えたけど、「絵を描く」快感は引き続き残った。

 描いていていちばん楽しかったのは、大学を出て役人になってからだったと思う。もう本当に、いつも得意になって描いていた。仕事でも使える局面が多かったし、

 ゲーム屋に転職して変わったのは、そういう自分自身のモードが、煙のように消えてしまったということだ。

 会社に入って最初に作った企画書の絵は自分で描いた。でも、2番目以降からもう違う。

 うちの会社の慣習として「新入社員は開発部に直行させない」というのがあった。入社後しばらくの間は、“雑用係”として企画や総務に配置されるのだ。社内研修というよりは、開発部の椅子に空きが出るまでの調整みたいなものなんだけどね。で、開発部員を職種別に見た場合、いちばん多いのはグラフィック担当になるから、企画や広報には、絵の描ける新人がいつでも必ずいるってことになる。特にぼくは採用選考もやってたので、誰がどの程度描けるかも把握済みだ。で、どんどん丸投げしていった。

 組織人として、これは進歩だ。何しろ「実績は乏しいけど才能はある」若い連中に、どんどん仕事を任せていったわけだから。逆方向で組織に迷惑かけるやつは少なくないんだから、褒めてもらったっていいくらいだ。でも、個人としては、大事な何かを失ってしまったのかもしれない。自分でも全く気づかなかったけど、プライベートにおいても、絵なんてほとんど描かなくなってしまっていたのだ。(妻に言われてようやく気づいたのだ。ほんとだよ)