ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

今では後悔してないけどね(4)

 思うに、こうした“自己分解”から逃れるための秘訣は、描き手として現役を続けることにあったんじゃないかと思う。

 例えば漫画家。多くの描き手は連載途中でも進化するけど、全員なわけじゃない。高橋留美子さんとか小山ゆうさんとか、ぼくが初めて見た30年以上前の頃と全く同じ絵を、今でも描いている。でも、そういう人だって新人賞の選考委員のときにはちゃんと現代的な絵を描く新人を評価しているわけで、別に美観自体が凍りついているわけじゃないのだ。結局「描き続けてきた」という実績そのものが、自分の作るものへの自信を持たせるんじゃないだろうか。

 これは、前に書いた「批判への態度」とも共通するかもしれない。やはりクリエイターというのは俺様くんでないとだめなのだ。他人がどう言おうと、自分が信じているものがいいもの。世界の9割の人間がダメ出ししても、

  「おいおい、みんな見る目がないなあ。

   やっぱりオレたちが導いてやんないとだめだな」

 なんて感じで清ましているべきだ。

 でも企画屋というのは微妙だ。たとえチーム全体が俺様くん状態だったとしても、企画屋だけは一緒にのめり込む訳にはいかない。ただ、プロデューサーとは違って、自分自身が作らなければならない立場だ。