ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

直球勝負、ゲームデザイン!

 『攻殻機動隊』が25周年なんだそうで、気がついたらぼくのゲーム屋歴もそれに近い水準になっていた。

 生まれてはじめてゲームの企画書を書いたのは、まだファミコンも登場していなかった80年台前半のこと。その後あれこれあって、20代の終わりにゲーム会社に入り、独立後フリーの企画シナリオ屋兼クリエイタースクール講師を始めた。東京から名古屋に転居(当然所属校も変わる)する中、だんだん軸足を後者に移し、3年前からは正社員扱いの教員になっている。

 で、この四半世紀以上もの間、ずっと同じことに、頭を悩ましていた。

  「ゲームデザイナーにはどうやったらなれるのか

 80年代なんてのは、パソコン/ゲーム機自体の黎明期で、企画書の参考資料なんてあるはずない。毎回試行錯誤で書いていた。そしてアマチュア時代の最後に書いたのが、ゲーム会社への応募作品だった。でも実際には、入ってからも、模索は続くことになる。採用選考の仕事も担当したためだ。視点は180度逆なんだけどね。講師になってからは、一周りして同じ場所に戻ったといえる。既にプレステ時代、「ゲームデザイン」というゲームのルールも変わっていた。

 考えてみると、二十歳ぐらいから現在まで、規模とか角度とかは変わりながらも、ずっと同じ問題を追いかけ続けてきたのだ。“就職対策一筋、四半世紀!”なんて思うと、なんだか虚しい。でもここはこう考えるべきだろう。

  「ゲームはどうデザインされるべきなのか

 こうなると、アインシュタインにとっての統一場理論と同じくらい、ロマンがある。もっとも彼の場合は見果てぬ夢で終わってしまったわけだけど。

 これまで、作家的なスタンスで書くエッセイを基本にしていたこのブログだけど、年度も変わったことだし、タイトルにふさわしいことをしばらく続けてみよう。FC2で「gamescience」の名前を使う唯一のブログとして、責任もあるわけだし。