ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

直球勝負、ゲームデザイン!(2)

 本気で論じ出す前に、ゲームデザインという言葉の意味について確認しておきたい。

 実際、いろいろな人がいろいろな形でそれを定義している。ぼく自身だって、最初の授業で論じるのがこれだ。ここは、アカデミック系の分野でたぶんいちばん被引用率が高い、サレン&ジマーマンの『ルールズ・オブ・プレイ』山本貴光訳)での定義を引用してみよう。

   ゲームデザインとは、ゲームデザイナーがゲームを作り出す過程である。

   作られたゲームは、プレイヤーに見出され、

   そのゲームから意味ある遊びが生じることになる。

 そして言及されているゲームに関する定義は、こうだ。

   ゲームとは、プレイヤーがルールで決められた

   人工的な対立に参加するシステムであり、

   そこから定量化できる結果が生じる。

 ぼくが論じるときの「ゲームデザイン」は、もう少し広い。

 前者の前半においては、かなり近いといえるだろう。ゲーム会社の開発部門には、ゲーム本体としてのプログラムを書く人と、ゲームに組み込む素材データ(絵、音、テキスト)を作る人とがいる。でもどちらにも属さない人というのがいて、プロジェクト全体に関わる仕事をしている。この人達の呼び方は「企画」だ。丁寧に「企画職」という場合もあるし、外向けにはカタカナ語で「プランナー」、そして自分たちでは「企画屋」なんて呼ぶ。就職というテーマを念頭に置くぼくにとって、ゲームデザインとは、“企画屋がゲームを作り出す過程”ということで、まあ、企画屋の仕事全部を意味することになる。ジマーマンたちのは、そこまで広くない。

 彼らが論じているのは「行為としての」ゲームデザイン。でもぼくが注目するのは「職業としての」ゲームデザインなのだ。