ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

直球勝負、ゲームデザイン!(7)

 業界には、ゲームデザイナー不要論者がちょくちょくいる。前、ゲーム屋が集まる掲示板で「ゲームデザイナーとは何する人か」をめぐる議論があって、そこでプログラマによるこんな書き込みをみたことがある。

  「デザイナーなんて、オレの理解でいうと、

   スケジュール切って予算とってくるだけの人ですけど」

 提案者/管理者モデルに基づく定義なら、こういうタワケであっても納得するだろう。予算とスケジュールは確かにプロジェクトを動かす2大要素で、この提案者/管理者モデルは、これに個別に対応している。

 ただ、ここでまっとうなゲームデザイナー志望者には疑問もでてくるはずだ。ゲームのアイデア考えたり、遊びをルール化してシステムとして構築したりするその部分は、どこに行ってしまうのか、ということだ。

 そういうのは、提案/管理のそれぞれの中に含まれてるんじゃないかと思う。

 ゲームの中身を考えるというのは重要だし、それだけのために期間を要するものでもある。ただ、仕事というものは、定量化できないといけない。企画書や仕様書さらには“遊べるソフトウェア”などの形で実体化した時点でやっと仕事と言えるんであって、その内容作りというのは、グロスとしての提案者/管理者の仕事の中に含まれると考えるべきだ。

 例えば作家の仕事も、観念的には、ナラティブ(物語の要素)を考える部分と、文章としてそれを実体化する部分とに、分けることもできるだろう。でも、原稿料が貰えるのは、出来上がった文章に対してだ。

 実際には、提案者としての側面の方に含まれている度合いが多いだろう。ただ、ゲームの面白さは、実際にはかなりの部分が「作りながら決める」もので、その意味で管理者の側面を忘れたら、それは完結しない。