ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

カフェでのつれづれ(2)

 でもいちばんの原因は、近くの席に座っている家族らしきグループの存在だったりする。

 ぼくの向かいに、キャスおばさんみたいな感じの女性がいて、息子とおぼしき青年相手に話し込んでいる。また、話す姿がキャスおばさんみたいで、女性っていうのは、なんであんなにモーションデザイナーの創作意欲を刺激するようなしゃべり方をするのかってことはよく思うのだけど、それはそれ。問題は内容の方。なんだか身につまされる話なのだ。

 息子は、就職を機に、一人暮らしを始めたいらしい。でも、キャス母さんはそれに強く反対している。ー経済的にやってけるわけがない、自分も10年ぐらい一人暮らししてたけど、クルマなくてもギリギリの生活だったーなどなど。

 そうだったなー。一人暮らしがしたくて受けた東京の大学に全部落ちたぼくは、三河にある自宅から八事まで通った。でもそんな学生生活がどうしても嫌で、勝手に大学受けなおして、あらためて上京した。

 名古屋の学生時代にはじめた車やバイクのある生活をやめたくなくて、反対を押し切ってそれらを持ち込んでの一人暮らしだった。でも、これはひどく辛いことだったのだ。

 クルマってのは、ただ置いておくだけでも1万ぐらいかかるし、使えばもう1万ぐらいかかる。月収が自動的に2万円減るようなもんだ。アルミとかエアロとか、何か付ければそのたびに10万ってな感じ。金食い虫なんて言葉は、このためにあるようなものだ。でも、あるのがデフォルトになっちゃうと、どうしてもやめられない。「クルマのない人」になってしまうことは、プライドの問題に加え「仲間うちでのポジション」を喪うっていう、けっこう深刻な問題も伴うのだ。ぼくが「困窮」って言葉で言い表せるような生活を送ってたのは、唯一あの頃だけだ。

 とはいうものの、他所ん家の話だしね。これが昭和の大阪のおっちゃんだったら「そや、あんちゃん。お母はんの言うとおりやで!」なんて話に割って入っちゃうんだろうけど、ここは現代の名古屋だ。そもそも他人の話を聞くってのが、どうにも紳士的じゃないわけで。まあ、4メートルは離れてる(しかも店内は無音じゃない)空間を隔てても聞こえてしまうようにしゃべっているキャスおばさんの方に責任はあると思うけど。

 こういうときのいちばんいい逃避方法は、音楽を聞くことだ。でも今日に限って、イヤフォンを持っていない。