ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

シッポは既に導火線(1)

 バイクに乗っていると「若い命を粗末にするな!」なんて標語をよく見かける。反戦派は「若者の命が無残に散らされるのです!」って言葉で、戦争の悲惨さを語る。若者の命、客観的にはとても値打ちが高い。でも主観的にはっていうと、やっぱり軽いわけだ。人生経験を積むと、その経験が直接積み増しされていき、本人にとっての命の重さをどんどん大きくしていくんだろう。

 そんなパラドックスをふと思い出させるのが、今のぼくの状況だ。取り組んでいる弁理士試験、今月の下旬に短答式がある。近づいてきているという事実が、ぼくをとにかく暗鬱にさせる。「落ちる」ということの重苦しさに、いたたまれない気持ちにさせられてしまうのだ。

 去年は全然そんなことなくって、従容として当日を迎えた。理由は簡単。勉強が足りなくって、合格水準にかすりもしてないことがわかっていたからだ。受かる見込みがなきゃ、受からないことなんて恐怖でもなんでもない。

  「まあ、万が一ってこともあるしね。

   宝くじに当たりたかったら、まず買わなきゃ

 でも、今年はだめだ。試験まで2週間ちょっと。この期日を、ある瞬間には無視したくなり、別の瞬間には気になってしょうがない状態になってしまっている。少しは勉強が進み、ある程度の得点力を身につけたからだ。試験というものの怖さが、じわじわと実感できるようになっているのだ。

 正直、まだ合格水準には届いていないと思う。でも「もしかして運が良ければ」ぐらいのところにはいる。こうなると、宝くじ的なのんきさではいられない。馬券買ってるやつと同じぐらいかな。三連単なんて、客観的に考えれば当たるわけないのに、当てるつもりで競馬新聞とにらめっこしてる連中みたいな。

 でもそういうのは置いておくにしても、「来年も同じように試験を受けている」という未来を考えると、暗鬱になってしまうのだ。