ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

プレステはるかなり(3)

 なぜ盛り上がらないのか。

 日本のゲーム産業の父とも言える、任天堂前社長の山内溥さんは、こんなことをよく行っていた。

  「ゲームというのは生活必需品やない。

   せやから、前のよりいいとか、数が多いとか、

   そんなことじゃお客さんは買ってくれんのや!

 ぼくの京都弁再現能力が低いために大阪弁みたいになってしまったが、要は、他では置き換えられないような魅力がないと、ゲームもゲーム機も売れないということだ。

 どの分野においても、プロはだいたい「よくできている」の水準で満足する。前作比(あるいは世間比)20%増しの製品を送り出せたのなら、まあOKだろう。だけど、そういう計算づくで満足するのは、買い手もまた計算ずくの場合だけだ。クルマ、家、一般的家電品ならそれでもいい。でも娯楽というのは快感で、飽和点はない。

 あえて数量化して表現するなら、対数スケールでの向上を図れないと満足してもらえないということだ。「このソフト、よくできていますよ」で買うのはマニアだけ。そして「できのいいソフトがいっぱいありますよ!」で注目するのは、自分はゲームをしないマスコミやマーケット関係者だけで、肝心のお客は買ってくれない。

 90年代のコンソール市場はマニアだけで支えられていた。ゲームスクールの学生もまたマニア層ばかりだったのかもしれない。でもゲームは大衆化し、テレビや映画と並ぶ産業的エンターテインメントになってしまった。「ぼくの周辺にいる学生」が、(マーケ的に)“ふつうの青少年”化してくるのも、道理ではあるわけだ。