ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

斜鏡な日々(2)

 お寺には「写経体験」みたいなものもある。坊さんが直接指南してくれるような本格体験もたぶんどこかでやってるんだろう。でも前にぼくが体験したのは、もっと観光ライクなやつだ。場所は京都の三千院。入った部屋の一つがそのための場所だった。誰もいない部屋の座机に、般若心経が薄墨で印刷された紙が積まれていて、「納経してください」みたいな張り紙があった。

 三千院は市街地からはるか離れたところにあるので、よそに回る必要がない。別に信心はないけど、潰すだけの時間なら十分にある。それでやってみたわけだ。たしか般若心経を最初の1行だけ書くってなもんじゃなかっただろうか。徳があるのかどうかはわからないけど、本物の寺の一室で正座してお経を書けるなんてのは、結構お得ではあったね。

 実はぼくは、般若心経を諳んじられる。だけど、憶えるときも別に写経したわけじゃない。読んで唱えるのを何度も繰り返しただけだ。

 取り組み始めた時は、途方もなく長いもののように感じていた。こんな長文、自分に憶えられるとは信じられない程だった。でも、憶えてしまえば、どうってことはなかった。むしろ短いほうだ。少なくとも、特許法に比べれば。

 特許法は全部で200条くらいで、単独で1カテゴリーを構成する法律としては、短い方だ。でも、憶えきろうなんて発想は、ちゃんとした法学教育を受けた人間なら持たないだろう。法律学を「条文の暗記」と思い込むのは素人ならではの勘違いであって、決してそういうものではない。だけど、弁理士試験の問題を作っているのは特許の玄人なんであって、法律学の玄人ではない。弁理士に占める法学部卒の比率はせいぜい2割ぐらい。圧倒的な多数が理工系の大学院卒になる。彼らにとっては、特許法なんてのは、標準規格資料の一種ってとこなんだろうか。電験の科目に電気事業法があるのと同じように、「規則は全て憶えているべしッ!」って感じで、問題が作られていってるような気がしてならない。