ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

斜鏡な日々(4)

 暗誦といえば、祝詞にも取り組んだことがある。

 きっかけは、当時日課にしていた熱田神宮参拝でのことだった。その頃、ぼくは昼休みに早足ウォーキングをしていた。学校から出て、熱田神宮に入り、玉砂利をじゃりじゃりと踏みしめながら歩く、概ね30分ぐらいのコースだ。目的が歩くだけだから、別に参拝する必要はないのだけど、せっかくなのでちゃんと拝むことが多かった。

 ある日のこと、横長な拝殿の端にいた年配の男性に、ぼくは目を奪われた。見た目が特に変わってたわけじゃない。きちんとした身なりではあったものの、正装とまではいかない。ただピンと背筋を伸ばして、祝詞をあげていたのだ。

 このとき、ぼくははじめて祝詞というのをかっこいいと思った。神職がもったいぶって朗じているときにはちっとも感じられなかったかっこよさが、このおじさんからはひしひしと伝わってきた。自分もああやってかっこよく参拝したい……なんて思ったのは、直後と言っていいだろう。さっそく調べて、祓詞を知り、暗誦を目指したのだ。

 実際、憶えて唱えられるようになるまでは、どれほどもかからなかった。

  「かけまくもかしこきいざなぎのおおかみ、

   つくしのひむかいのたちばなのおどのあわぎはらに……」

 なーんて、ちゃんと憶えてたんだけど、最近使ってなかった。今、何も参照せずに書いてみたところ、2行目の終わりで怪しくなってしまった。

 でも神社の拝殿には、たいてい「二拝二拍手一拝で黙って祈れ」なんて書いてある。黙ってちゃ聞こえないよね、日本の神様は。あるいは、神社で祝詞を上げていいのは、神職だけって決まりがあるのかもしれない。実際問題として、祓詞はただの挨拶で、この後にちゃんと願い事を同じような言葉回しで読み上げないといけないわけで、かなり長くなってしまう。