ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

雑誌が消える!(1)

 クイーンの90年頃の名曲に「Radio Ga Ga」がある。

 そこで歌いあげられてるのは、こんな内容だ。……ラジオ、それは少年時代の友人だった。世界大戦や映画スターそして火星人の襲撃まで、いろいろなものを教えてくれた。それがどうだい、今ときちゃ……(これ以上やると、さすがに翻案権とかの問題になってきてしまう)なんて歌詞だった。

 週刊アスキーが消滅する。このニュースを聞いて、ふと思ったのが、この歌だった。フレディ・マーキュリーが朗々と歌い上げるラジオ。ぼくは今雑誌に対して、これと同じものを感じている。

 中学生だった頃のぼくは、フレディ(作詞してたのはジョンだっけ?)と同じようにラジオも愛好していたけど、それと同じぐらいにのめり込んでいたのが本、特に雑誌だった。

 生活に中心にあったのが、当時の2大学年誌のひとつ、学研の「中学n年コース」だ。勉強あり・お楽しみありの内容は、いろいろなことをぼくに教えてくれたのだ。世界大戦も映画もロックスターも、そして小説やマンガも。その後よく名前を聞くことになった作家さんの小説もあったし、メジャーになる前のあだち充さんも連載していた。

 一方、大人領域の専門誌というのもある。何か新しいジャンルに興味が出ると、その分野の雑誌を買ってくるようにもなっていた。例えば初歩のラジオなんて月刊誌があった。電子工作の入門レベル(といっても相応に難しいのだけど)の専門誌だ。あるいは「Gun」。これは、銃器類の専門誌で、ハンドガンやライフルの実銃レポート、西部開拓時代の銃の話とか射撃競技や狩猟関係の記事、ついでにモデルガンの記事も載っているというものだった。中学生の限られた小遣いを費やす以上、読み捨てるなんてもったいないことはできない。広告も含め、隅々まで読み尽くしたものだ。もちろん初心者にはよくわからない内容も少なくないのだけど、背というものは背伸びしてるうちに伸びてくるものでもあるのだ。想像で補ったり、文脈から推測したりで、むしろ知識を広げることにつながった。

 そんなたいせつな存在が、なくなってしまう。これはもう、感傷とかだけの問題じゃない。