ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

眠るように?(3)

 何でもないときでも、妙な予感に囚われることがある。

 ある晩、寝入りそうになったとき、ふと「このまま死ぬ」ような気がしてきた。特に理由があったわけじゃない。体は(慢性的な肩の痛さを除けば)快調だったし、公私ともに特段の悩み事を持ってるわけじゃなかった。だけど、その時はなぜか「もう二度と目覚めることはないんじゃ?」という疑念が、沸き起こってきたのだ。

 とたんに寂しくなった。もちろん、その日はいつかはやってくる。そんなことぐらい覚悟しているつもりだった。でも、なぜ今日なんだろうか。疑念が頭のなかでループする中、次第に確信に変わっていった。

 とはいえ、眠らないわけには行かないのだ。眠りたくないと思いながら、ぼくは“最後の入眠”に引きこまれていってしまった。

 まあ、ただの思い過ごしだったから、こうして雑文書いてるわけだけど。

 人は、自分の死ぬ時を予感できるのか。これはわからない。何しろ死人に口なしで、証言できる立場の人には、証言する能力も喪われているのだから。ただ、こと健康な人について言えば、そのことを肯定できる合理的な理由は、何もない。だから、ほとんどの人は、不意に突然人生を終えるのだろう。昨日と同じように今日が過ぎたから、明日も同じようにやってくるんだよな、ああ、後給料日まで何日かなあ、待ち遠しいなあ…なんて思いながら、しかし明日を迎えることはない。

 長患いの病死と事故的な突然の死、どっちがいいのかなんて思う。でもこうして考えてみると、どの視点から見ても「こっちの方がマシ」と思えるし、その逆のようにも思えてしまう。