ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

裏声で呼ぶやフジヤマ


 「霊峰」なんて二つ名がつく割には、富士山は俗っぽい。
 まず、あまりにもその名が唱えられすぎていること。「山」とくれば富士山と返ってくるほどで、霊的なものが通常持つ「口にだすのが憚られる」成分、“フジサン”の4文字には、1ppmすら含まれちゃいない。固有名詞としても、嫌というほど使われてる。会社名、商品目、地名、クルマのナンバー、そして駅名。いつのまにか「富士山」なんて駅が出来ていた。
  *どこかと思ったら、元の富士吉田駅。
  *ここって、明らかな平地だよ。1合目ですらない。
  *ちょっと厚かましすぎるんじゃないだろうか。
 また、その姿もあまりに描かれ過ぎていることも、指摘できるだろう。いろんなところで意匠化されているから、実物を見たことのない小さな子供だって、クレヨンで描けてしまうほどだ。そうした俗式アートの頂点にいるのが、風呂屋のペンキ絵。サイズ、画材、描画技法、その全てにおいて俗っぽさを極めている。
 でも、その俗っぽさのいちばんの特徴は、気軽に登れてしまう点だろう。
 そんな富士山に、この夏、登ることになった。もう山小屋の予約はとってしまったので、台風が直撃したり、こっちが登る前に向うが噴火したりとかでもない限り、行くことになる。



 実を言うと、富士登山は初回じゃない。ただ前回登ったのが中1ぐらいのときだから、「n年ぶり」の“n”の数字が大きすぎて、数える気にもならない。
 なまじ経験がある点に困惑してる。っていうのも、現地をイメージできてしまうからだ。
 ザクザクする火山灰の坂道が続いているのを、懐中電灯で照らしながらひたひた歩く。前にも後ろにも、同じような人々。元気な兄ちゃんたちが、ときどき追い越していく。とりわけ早いのが、ヘルメットかぶった訓練中の自衛隊員たちで、猛烈なスピードで続々と追い越していく。そんな山道を登っていると、やがて石積みの壁に囲まれた山小屋が現れる。金剛杖に焼き印押してもらって、何か飲み食いして一休み、再び懐中電灯をともして歩き出す……こんなイメージが、ぼくの頭のなかには広がってくるのだ。
 でも、これって数十年前の風景なわけですよ。絶対に違うはずなんだよね。知らなければ、変なイメージも持たずに済む。でも知っているから、そのイメージしか結べない。
 登山道だって、道だ。そして富士山近くの道は、どれもこれも、思いっきり変わっている。あの頃、高速道路といえば東名だった。中央道は名古屋まで伸びていず、東京からだと河口湖までを結ぶ道に過ぎなかった(名古屋からだと恵那山の前で終わりだ)。さらには富士スピードウェイなんて道もあるね。当時は日本初のF1があったりして、ジェームス・ハントとニキ・ラウダがチャンピオンを競ったりしてた。今では、中央道はつながった。新東名もでき、沼津から伊豆へ行く道もつながった。富士スピードウェイはコースがガラリと変わり、F1も開かれ、そして去っていった。



 ヤマノボリって行為が、ぼく的にちょっとアウトだったりしてた。登りたくないってことじゃない。アウトだったのは、「オレ、山男ッ!」っていう人たちだ。彼らをどうにも好きになれなくて、その仲間に加わる自分を考えたくなかったのだ。
 子供の頃はそうでもなくて、ちょっとした憧れの対象でもあった。だいたい山岳装備って、物々しいじゃないですか。ああいうのに小学男子は弱いわけですよ。高校生あたりまではたぶんに子供要素を引きずっているわけで、この件についてもそうだったんだろうと思う。学校行事としての集団登山で北アルプスに行ったけど、嫌で嫌でしょうがなかったなんて記憶はなく、むしろ高揚してた。そして、現地で見かけた本格登山の大人たちは、かなりかっこいい存在だったのだ。上高地の近くからは、激しい岩壁も見える。そんなところに張り付いて登っているクライマー。その一員になっている将来の自分すら、夢想してしまうほどに魅力的だった。
 だけど、そのヤマノボラーたちが、だんだんリスペクトできない存在になっていったのだ。いや、彼らは変わっていない。変わったのは、彼らを見るぼくの視点の方だ。
 前にぼくは、昭和的「男の子らしさ」について批判的に書いたことがある。ヤマノボラーへの嫌悪感というのも、これと同じだ。彼らが自慢気に語る内容や現実の振る舞い―風呂に入らないことを誇り、危険行為を自慢あるいは競い合い、ハイマツ林の中で野糞する―が、あまりに昭和的マッチョイズムであると感じてしまったのだ。
 もちろん、とんでもない偏見ですよ、目的語を「山男一般」に広げたとすればね。でも、そうして自らの一方的美学に酔いしれる年長者の話をさんざん聞かされたっていうぼく自身の経験は事実だ。ハイマツ林の方は、常念岳の近くで実際に見てる。まあ、見たのは、し終わった後の大便の山で、きばってる姿に出会ったわけじゃないけどね。尾根に出たとこの休憩適地で、登山道から少し外れたハイマツ林は、人がしゃがめる場所のほとんど全てに大便がてんこ盛りになっているという有り様だった。



 ヤマノボラーの昭和マッチョイズム、書いてから思い出したけど、高校の教員がそうだった。そういう学校だから、わざわざ北アルプスまで生徒全員引き連れて合宿するわけだね。いろんな教師が授業の合間にそうした“武勇伝”を語っていて、中にはこんなことを言ってた人もいた。
  「その年の正月、穂高は猛烈な吹雪で閉ざされた。
   越年しに入った登山家で、
   生きて下りられたのは、オレともう一人だけだ」
 ちなみにこの人は後に教頭になったものの、飲酒運転で当て逃げ事故をやらかして辞職した。
 だけど、ヤマノボラー事情、今はだいぶ違っているようだ。なんのかんの言っても、若い女の子が進出してくると、ゲームのルールは一気に変わってしまうのだ。居酒屋から競馬場まで、このへんは変わらない。山ガールなんて言葉は、ぼくは(屈辱的なことに)マスコミを通じて知った。実際には、山オババだったりもするのだろう。でも、都心あたりの山岳ショップに行くと、20代からもう少し上ぐらいと思しき女性がいっぱいいる。昭和の頃ならともかく、現代日本では十分「若い女の子」に含まれる年代だ。
 とはいえ、ぼくが一度は決別したヤマノボリに再び注目しているのは、必ずしもそういうモラル水準の変化から来ているわけではないのだ。ましてや、女の子が目当てじゃない(確かにぼくらの世代はそういう行動傾向があるけど、ぼく自身は若者の頃に卒業しましたよ)。ランニングの延長だ。
 何度も書いてきてるけど、ランニングを嗜んでいる。そしてこれはまだ書いてないけど、冷静に自分の走力を考えた結果、マラソン大会への出場というのは、目標からは外した。好きなところを好きなだけ走ることを、自分のスタイルと決めている。
 そうした活動の対象として視野に入ってきたのが、山だったのだ。



 トレランと登山は、結びつくようで微妙だ。
 今注目されているタイプのトレラン、これはちょっと違うかもしれない。彼らは基本的に走り続けるわけだし、大会を開いて速さを競い合うのだし。
 今、あちこちでハイカーとのバッティングが問題になっているようだけど、これは当然といえば当然だろう。競技は勝つためにやるし、競技の練習だって勝つためにやっている。そういう人が山に入れば、スピード優先になるのは当たり前。ハイカーなんてのは、高速道路にいるバスやトラックと同じで、追い抜いていく対象にすぎない。追い抜かれる側がどう感じているかなんて、気にしたところでタイムには関係ない。
 ぼくが今志向しているのは、あくまでも「ぼくにとってのトレラン」。
 平たく言えば「“走る”もするヤマノボリ」で、いわば日和見トレランってとこだ。登りは歩きゃいいんですよ、十分心拍数高まるから。でも下りを歩いていると、体冷える。だから、走る。そんな感じの捉え方だ。なぜ山に行くのかっていうと、そっちのほうが楽しいから。アスファルトの上よりも、緑に囲まれた稜線のほうが気持ちいいに決まってる。
 ただ、「走る」もする以上、装備はそのつもりでないといけない。走れるサイズのリュックで、シューズも登山靴ってわけにはいかない。トレランという競技体系があるおかげで、そういう道具を買うのに事欠かない。この点はありがたいね。
 で、そんなトレラン(自分流)への嗜好が、ヤマノボリへの興味・関心にもなっている。「そうした“走る”を前提にしないのも、ありかもね」ってなとこだ。
 それの行き着く先が富士登山になってしまったのは、自分のことながら、興味深い問題だと思う。このあたりが、日本人にとっての「富士山」の特別なところなのだろう。



 対象になる山がなくなってしまった今では歴史用語なのだけど、かつて未踏峰に初登頂する行為は「征服」と呼ばれていた。「エベレスト」「征服」でGoogle検索かけてみると、その名も『エベレスト征服』なんて映画がヒットしてくるぐらいだ。
 この言葉&概念に、西洋人の自然とのつきあいかたのスタンスが現れている。
 彼らにとって、自然とは征服するものだった。森だの山だのといった場所は、魔女やらエルフやらが棲み着いている、基本的に恐ろしくて邪悪な場所であり、切り開いて畑なり牧草地なりにすることが正義だったのだ。海に対しても同じだ。クジラなんて生き物の利用価値は、街灯の燃料油の供給源ってことに尽きるから、殺してアブラとって捨てる。そして可能なら海そのものもなくしてしまう。干潟を堤防で封鎖して干し上げチューリップを植えるなんてことが、誇り高く実施されてきたわけだ。
 これだから一神教文化は……なんて唾棄するのは、ちょっとアンフェアだ。東洋人にとっても、基本は違わないだろうから。何しろ「愚公山を移す」なんて言葉があるくらい。華人にとって山とは通行を妨げる邪魔な存在に過ぎず、そんなものはどけてしまったほうがよろしいということになる。
 ただぼくたち倭人は蛮族だ。征服するような文明力を持っていなかったし、対する自然の側だってそれほど凶暴なわけでもない。そこで、基本は畏れ敬いつつも、適当に利用させてもらうことが、対自然スタンスの基本になっていた。木材は切りだすけど造林もするし、猪とか鹿とかも獲って食うけど根絶を図るわけじゃない。山岳信仰というのもそんな山の利用法の一つで、一定の地域を禁断の地としてタブー化するのだけど、同時に宿坊を作ったり、岩壁に鎖を渡したり、山頂に祠を建てたりもしてた。
 だけど、西洋人たちのルール、いつの間にか180度変わってしまった。自然とは守らなければならないもので、場合によっては人間という邪悪な存在を遠ざけるべしなんて考えが、濃厚になってきたのだ。そして日本流の“利用主義自然観”は、この視点からの批判にさらされることになる。クジラ獲りが激しく糾弾されるのと同じ次元で、富士山のあり方も批判されてしまう。



 登山道っていうのは、そんな富士山のあり方を象徴しているようだ。
 これは「登山家が通る標準的登頂ルート」なんてもんじゃない。あからさまに道として作られている人工工作物だ。正月あたりに新聞に空撮写真が載ったりするけど、険しい山肌を刻むように付けられているのが、否応なしに見える。地上からだって近くに寄れば見えるし、夏場の夜中だと、河口湖のあたりからでも、灯りが点々としているのがみてとれる。
 自然最優先主義者からすれば、これほど許しがたい存在もないだろう。
 フランス流の皮肉な言葉として「最も美しいパリの風景は、エッフェル塔から見たそれ」なんてのがある。なぜなら、エッフェル塔自体が見えない唯一の場所だから、だとか。これに倣って「最も美しい富士山の眺めは登山道から見たそれだ」なんて言いたいとこだけど、そうはいかない。なぜなら、他の登山道が見えてしまうからだ。ぼくが登ったことあるのは富士宮口だけ。ここだと、頻繁にブルドーザー道と交差することになる。他の登山道は本で読んで知っているだけだけど、まあそんなに変わらないはずだ。特に、上りと下りが別の道にわかれているわけだし。
 でも、問題は景観じゃない。「人が通る」という、道としての機能の方だ。
 登山道に入る人は、シーズン中30万人だという。これだけの人間が昼夜を分かたず歩く。そして、彼らに食餌と休憩場所を提供する山小屋が、山頂に至るまで数多く点在する。そこに資材や消耗品を運搬するのは、黒煙をもうもうと立ち上げるブルドーザーで、それを通すための専用道は、山頂まで何本も伸びている。
 たった2ヶ月で30万人だよ。週あたり、4万人ぐらい。人間が、食べて出してをそこでする。人口4万人の市街地があったら、下水道ぐらい整備するだろう。でも、富士山にはそんなものはない。2ヶ月で、推定120トンの糞便(1人1回200グラムと推定)が、そこに留まることになるわけだ。
 でも、現代西洋流の価値観にしたがって、立入禁止にすべきなんだろうか。30万人—“いつか登ろう”って考えてる人を入れれば、その十倍以上だ—が利用する遊び場を「それが正義なのだ」と一方的に取り上げてしまうなんて、むしろ暴力といえるだろう。



 なぜ、見てるだけじゃだめなのか。
 これはもう、「そういうものだから」としか言い様がない。何かを楽しむためには、方法がある。城や塔があれば登ってみるわけだし、湖や入江なら遊覧船だ。対象と親しむための関わり方は、対象ごとに違ってくる。そして山は「登る」だ。見ているだけじゃ、十分に親しむことができない。
 デザインにおけるアフォーダンスの問題と、これは同じかもしれない。ドアノブがあれば、人は回して引っ張ってみる。横にスライドさせようなんてひねくれ者はめったにいない。この場合のドアノブが持つ機能がアフォーダンスだ。人はドアノブに“回して引っ張る”という形でアフォードされている。そして、山に対しては“登る”という形でアフォードされているわけだ。車、ロープウェイ、そして徒歩。手段はさまざまだとしても。
 ただ、これも慣習の問題だろう。例えば海。ぼくは海を見ると、釣りたくなる。でも、全ての人が海を見てそう思うわけじゃない。サーファーは(波があればの話だけど)乗りたくなるんだろう。この心理はぼくにはわからない。
 だから、山を見ても「登らなきゃ」と思わないようになればいい。国民レベルの意識改革が必要で、マスコミや教育機関を総動員しての再教育を行う。そうすれば、富士山は人の立ち入らない自然保護地域だ。日本人は、この宝物を守っていくことができる……。
 でも……たぶん、噴火するよね。向う100年くらいの間には。山容が大きく変わるし、生き物だって根絶やしになる。どんなに大切にしても、全てが破壊されてしまう。人が手を出さないでいればいつまでも守られているなんて、そんなに優しい存在じゃない。そうなると、国民の我慢は、ただのやせ我慢だ。



 最後は、富士山の俗っぽさの話に戻ろう。
 なぜ、俗っぽいのか。たぶん、現実に身近だからなんだろう。何しろ、東京都内からふつうに見える。そして、ふつうに行ける。
 この身近さは、都民だけのものじゃない。名古屋や大阪の人間だって、東京に行く時にはすぐ横を仰ぎ見るように通って行く。初めて見たときは感動でも、まあ出張とかだとそうも言ってられないね。そして、名古屋の人間にとっても、東京は行く機会が多い。実際、琵琶湖を見るよりも富士山を見るほうが多いと思う。大阪の人だって、名古屋止まりの出張なんて、あんまりないだろう。結局富士山は、仕事っていう「日常」の中の風景になってくるわけだ。
 とは言っても、子供の頃はそんなに身近な存在じゃなかった。名古屋あたりだと、富士山周辺にはさほど要はないのだ。富士急ハイランドなんて行かなくたって、ナガシマスパーランドで足りるんだしね。富士山を初めてまじまじとみたのは、中学の修学旅行(東京行き)ぐらいじゃないだろうか。(ちなみに、初の富士登山をしたときは見てない。何しろ徹夜の弾丸登山だったからね)
 ぼく自身は、実際には大学生になってからだったと思う。必ず毎回新幹線ってわけじゃないけど、帰省/帰京のたびに、その辺りを通ったから。ちなみに日本の西の方の高校生の間には「富士山をみると落ちる」なんてジンクスがあって、受験のときは顔をそむけるようにして乗って行ったけどね。
 よく考えてみると、富士山の身近さ、かなりの部分を新幹線に依存してる。江戸時代は、江戸っ子にとってもそんなに身近じゃなかったはずだ。遠くに見えるだけで、タフな旅をしない限り近くでは見られなかったんだから。だから富士講とかが成立する。
 今、リニア新幹線が計画されている。予定通りに開通すれば、品川から名古屋までほとんどトンネル、まさに世界最長の地下鉄ってことになりそうだ。もう今みたいに富士山を見ることもなくなるんだろう。それが続くと、俗っぽさも、なくなるんだろうか。