ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

「語る」を語ろう、戦争(3)

 母の戦争体験のクライマックス部分にあるのが、風船爆弾だった。

 これは、気球に爆弾を着けてジェット気流にのせてアメリカ本土を爆撃するという、かなり苦し紛れの作戦だ。軍部も途中で嫌気が差したのか、正式な開発から手を引いていたのだが、熱心な技術士官が軍を辞職してまで研究を続け、実戦投入可能なところにまで持っていったのだとか。その後、藁をもすがらざるを得ない状態になった軍部によって正式に採用され、実行に移された。

 今、資料を見ると「日劇のホールで生産された」とか「勤労奉仕の女学生も生産に駆り出された」なんて書いてある。母は名古屋の兵器廠に務める若き女工であって、東京人でもなければ女学生ではないけど、同僚と一緒にその製造に従事した。具体的な仕事はっていうと、こんにゃく糊作り。南方からの資源の全てがことのほか貴重だった当時、風船爆弾の風船部分は、ゴムじゃない。和紙をこんにゃく糊でコーティングしたものだったのだ。

 現場の指揮者(軍人なのか民間人なのかは聞きそびれた)が「これは国家機密である」なんて前置きで全体プランを得意げに語ったんだそうで、それきいて「そんなもので戦争に勝てるわけ?」と、女工仲間と呆れて顔を見合わせたんだそうだ。秘密兵器の全体像を一女工にまで説明していたっていうのも、日本軍の秘密管理のダメダメさを物語っているんだけど、まあおかげでその息子であるぼくは、本で読むのとは違った視点で、風船爆弾を語ることができる。