ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

「語る」を語ろう、戦争(4)

 明治時代、立身出世をめざす少年たちの間で「綴り方」が流行ったのだという。今で言う「作文」だけど、ずいぶん様相が違う。というのも、文体ばかりか題材や描き方までも決まった内容から選択しなければならなかったからだ。「余、友人と梅花を見んと欲し、瓢を携えて共に至る」とか、現実の経験とはかけ離れた作文を、例文や定型句を駆使してまとめていく。甘酒だってそう飲む機会のない小学生が、ひょうたんに酒入れて花見に興じる文章を書くわけだ。(出典は、斎藤美奈子さんの『文章読本さん江』。この本については、いずれ本格的な記事に書きますので)

 ただ、現代のぼくたちに、これを嗤えるかどうか。こと「戦争」を語る上では、創作だろうがノンフィクションだろうが、大差ない気がする。「戦争とはこういうものだ」リストがあり、そこに所収されていないモチーフは、そもそも選ぶことが許されていないみたいなことを感じてしまうのだ。

 そのルールにおいて、銃後の市民生活というのは、悲惨でなければならない。隣組憲兵にがんじがらめで監視されていてあくび一つ自由にできないような陰気な空気の中、幼なじみとか近所のおじさんとかが次々と召集され、食い物も食えない物もとにかく手に入らず、空襲警報に怯えて暮らすとか。その悲惨さを、日本の軍人たちの陰険さに求めるのか、あるいは住宅地への無差別爆撃を執拗に繰り返す米国指揮官たちの残虐さ(あるいは人種蔑視)に求めるのか、そういうところではイデオロギーを出せもするのだけど。

 ケラケラ笑うしかないような、銃後の生活。それを描くことは、不謹慎なのだろうか。 10代の女工であった母にしても、自分を取り巻く環境がけっして安全なものではないことはわかっていたはずだ。軍需工場で働いている以上、“うんこ”が自分の頭上に落ちてこないのは、ただの順番の問題にすぎないのだから。でも、自分にどうにかできるわけじゃない。だから笑う。

 少年時代に親しんだ作家の中には、戦争を「若い大人」として終戦を迎えた人達もいる。吉行淳之介さん、星新一さん、山口瞳さんといった面々だ。彼らの書いたエッセイでも、その辺の感触は変わらない。「わたしたちはいつも笑っていた」なんて話が、太宰の小説からの引用−平家は滅亡が違いが故に明るい−を交えて書かれていた。実際に軍隊に行った山口さんだと、さすがに戦争中については明るくはないけどね。