ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

登った、見た、下りた(4)

 富士登山自体がn十年ぶりだけど、実は宝永山への思いもn十年ぶりだったりする。

 はじめてそれを意識したのは、最初に登ったときだった。6合目のところには「宝永遊歩道・お年寄りや小さなお子様でもだいじょうぶ」なんて書いてある看板があり、それを見て思ったのだ。

  「あの、側面のぽこって出っ張ったとこ、宝永山っていうんだ」

 そして同時に、こうも。

  「宝永山って、すぐ行けるとこにあるんだ」

 実際の姿に思いを致せるようになったのは、もう少し成長してからだ。稜線上に出っ張ってるとこは火口のヘリで、実際にはとても大きな穴ぼこが開いているってことをその後知り、それからずっと頭のなかで引っかかった存在になり続けていた。

 ガイドブックなんかだと、プリンスルートは「逃げ」的に扱われてる。こっちのルートだと空いてるよとか、ね。でも、そんなわけで、ぼくにとっては「攻め」だ。宝永山に……てっぺんに登らないまでもそっち方面に行くこと、これを富士登山を決めた瞬間に決定していた。プリンスルートなんて名称があることも、実は後から知った。

 さて、罠っぽい案内板を進み、稜線がもうひとつ越えたところ、そこが宝永火口だった。それまでガスがかっていたのがちょうどその時すっと消えた。

 はっきり言おう。これだけが目的でも、ここまで来る価値があると。

 そこはまさに火口だった。ざらざらの砂がすり鉢状の凹みを形作っている。言ってみればとてつもなくスケールがでかい、アリジゴクってなとこだ。ただ、山頂側だけは様子が違う。今にも崩れてきそうな、でっかい崖になっているのだ。

 富士山ってのは、言うまでもなく火山だ。そのいちばん生な証拠が、宝永火口。てっぺんのは、もう千年以上前に噴火をやめている。だけど宝永火口は違う。なんといっても「前回噴火」の現場なのだ。