ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

特殊能力でもオカルトでもなく(4)

 速読に過剰な期待を抱く人には、実は知っておかないといけない事実がある。「読む」と「内容を記憶する」は別問題ということだ。

 読み終えた時点で得られているのは何か。実は「読み終わったという経験」だけだ。これはどんな読書でもそうで、速読だけの事情じゃない。もちろん読み方次第では、結果として記憶に残っている部分も多くなる。旅行だって、バスツアーでぐるりと回るのと、自分の足で苦労しながら回るのとでは、残る記憶が違ってくるのだし。

 あらかじめ基礎がある上でする場合、読書という体験は、今ある自分の知識を強化あるいは修正してくれるように作用する。速読の場合も、これは同じだ。これは、本の内容を記憶することは違う。そちらを実現したかったら、「読む」とは別の技術を投入する必要がある。

 それとも、オカルトがかった速読術は、そこまで請け負ってるんだろうか。「入試も資格試験も、これでバッチリさ!」とか?

 実際にどんな効能をうたい上げているのかは知らないけど、そんなことが実現できるのかどうか、正直、ぼくにはわからない。テレパシーがどうやって思考を伝達するのか(文字なの? 音なの?)わからないのと同じように。ただテレパシーの場合は、その能力を持った人間がどうなるのかを推測することができ、そこから背理的に「たぶんできないだろうね」という結論を導くことは可能だ。

 まあ、ここは百歩譲ってできるとしよう。でも、そうなってしまうと「何のために本を読むのか」の、いちばん重要な側面を切り落としてしまうことになると思うのだ。