特殊能力でもオカルトでもなく(6)
というわけで、速読から始まった今回の話題、いつの間にか読書論に近いものになっていた。それならそれで、総括してしまおう。
まず「読書」という行為において、こんな価値観がある。
重要なのは「噛みしめるようにして読む」ことである。
なぜなら、著者は一文字一文字を丹念に書いているから。
それと対面する以上、読み手も襟を正さなければならない。
このこと自体は悪くない考え方だろう(書き手としてはね、本当にそういうこと言いたくなるんですよ)。ただ実践するとなると、読める冊数があまりに少なくなってしまう。そこで必要悪として出てくるのが、速読となるわけだ。
だけど、知的取り組みとしての読書は、この辺が違う。速読というのはむしろ王道だということだ。科学的思考を背景とする知的活動において、何より不可欠なのは批判精神。その前提となるのが、健全な懐疑心だ。それには、書き手の思考誘導に乗ってはだめなのだ。
世の中には、騙すつもりで丹念に書いているやつだっている。また、自分が毒持ちだってことに気づいてない書き手もいる。そうした連中に対するいちばんの武器であり、また知的取り組みの条件とも言えるものが、速読術に根ざした読書システム。いわば「噛みしめるべき本」を自分自身の手で選び出すための試みで、恥じ入ることはない。毒まで含めて噛み締めてたんじゃ、成長する前に死んでしまうのだし。