ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

ウインダム、出ろ!


 バブルの頃、都内ホテルにステイなんてのが、流行ったことがある。東京に自宅があるのに、あえて都内の“おしゃれなホテル”に滞在して、“リッチな気分”を味わうというものだ。赤坂プリンスなんてのは、そのために建てられたようなもので、ゆえに役割を終えて消えてしまっている。
 はるかあの時代が思い出されるようなことが、先日起こってしまった。名古屋市民であるぼくが、名古屋市内に宿泊することになってしまったのだ。ただ、事情は上記のものとは、ずいぶん異なる。
 その日、外で会議だった。帰りがけにランニングするつもりでトレーニングウェアで出勤したぼくは、さすがにそのスタイルで名駅まで行く気にはなれず、ブレザー&ネクタイの教員スタイルで会議に。職場に戻ってから着替えるつもりでいたのだ。ところが、想像以上に 会議は長引き、直帰の時間に。地下鉄と市バスを乗り継いで自宅に近づいたとき、ようやく気付いたのだ。鍵がジャージの方にあったということに。
 ふだんなら、玄関のチャイムを鳴らして、中から開けてもらえば済む。でも、ちょうどその日は、妻が出張で還って来ない日だったのだ。
 詰んだ……
 でも、時すでに終バス目前。呆然としている暇はない。
 さっそく調べてバスに乗り、地下鉄をほとんど折り返すようにして繁華街に戻り、生涯初のカプセルホテル泊をすることになったのだ。



 ほんとを言うと、カプセルホテルのことを真っ先に思いついたわけじゃない。
 まず考えたのが、ネットカフェだった。前にも書いたけど、以前は都内に泊まる時の常宿にしていたくらいで、ぼくはけっこうオーバーナイト目的で利用している。
 さいわい、徳重の近くにも、1件ある。ところが、思わぬ落とし穴が。
「いやー、うちカード使えないんですよ」
 そうだった。ネットカフェの客層とクレジットカードとの相性はあまりよくない。それが使えるということは、たいして集客につながらないわけだね。
 でも、現金の持ち合わせはあまりない。少額ならEdy、それ以上ならクレカ、キャッシュレスな生活がすっかり身についてしまっていた。手元にあったのは、せいぜい千円ぐらいで、ナイトパックは使えない。都心のほうまで行けば、カー ドOKなネットカフェもあるんじゃないか、そう思った時に、ふとカプセルホテルというものの存在に気付いたのだ。早速電話をかけてみると、カードOKだという。
 しかし何だね、考えてみると、「金がなくてネカフェに入れない」ってことだったんだ。なんて情けないんでしょ。



 カプセルホテルってのは、ぼくが高校生のころにはすでにあった。当時のぼくは若干の鉄成分を持っていて、時刻表をよく買っていた。その広告で、頻繁に見かけていたのだ。「受験生の宿」でそれを使ってたら10代にしてカプセルデビューを果たせたんだけど、そうはしなかったし、その後もずっと使う機会がなかった。
 なぜか。やっぱり「都心のサラリーマン」経験をしていないからだろう。
 就職したのは、世田谷区。住所はずっと世田谷やら杉並やらで、住宅地から住宅地へと通勤しているようなものだった。ゲーム屋に転職してからは、吉祥寺乗り換えで立川っていう、完全逆方向の通勤だ。その後通勤先は恵比寿に変わったけど、もう家族持ちだったから、終電なくなるまで夜遊びなんてこともない。使わないうち にネカフェ時代が到来、ぼく自身に「ボロ安な宿泊手段」需要ができた時には、そちらで満たせるようになっていた。
 世の中に、何十年も前から存在したものを「初体験」ってのも、変な話だけど、そうなんだからしかたない。こうなると全てが新鮮な驚きだ。チェックインとかアウトとか、その辺の仕組みはホテルに準じている。大浴場とかお食事処、さらにジムまで付いている。でも、その内容と構成はかなりユニークなのだ。
 まず、最初に現れるのがロッカー。ここで室内着に着替えることになる。通路からベッドに至るまでの公共空間を、ずっとパジャマみたいなの着て裸足で過ごすわけだ。大浴場へのアクセスも、そんな感じで、一繋がり。入り口が妙に開放的で、廊下から脱衣所さらには浴室までもぱーぱーに望めてしまう。ここのは天然温泉が売り物で、露天風呂まである。行ってみたら、隣のビルからの視線をいっさい気にしない、実にあけっぴろげな仕様になっていた。



 カプセルもまた、あけっぴろげ空間の一員だ。
 ここは寝室とベッドの中間形態といえるだろう。上下二段で、それぞれのカプセルと外界との間を仕切るのは、ロール式のカーテンだけ。もしこれすらなかったら、夜中には足の裏がびっしりと並ぶわけで、壮観なほどに不気味だろう。
 初使用の感想はっていうと、まあ寝る分には、じゅうぶんだね。「立って半畳、寝て一畳」とはよく言ったもの。出入りがちょっと厄介だけど、入ってしまえば不満はない。テレビもくっついていたけど、ほとんど見ず、そのままぐっすり朝まで寝てしまった。
 空間としては概ね押入れと同じだ。子供の頃に誰もがやった押入れ潜伏。もしかしたら、開発自体がそこから来てる発想なのかも。あるいは、フロイト的に言えば、母胎回帰願望を満たす空間ってとこだろうか。はじめてカプセルホテルが作られた70年代は、まだフロイトを信じている人もけっこういたから、案外まじめにそういう発想でプランニングされたのかもしれない。
 でも、こんにちの視点では、むしろ「猫化」の一つって感じがする。
 人の中にある、猫成分。それは時に不意に頭をもたげてきて、人をダメにしていく。ゲームなんてのは典型的にそうだね。モンスターと闘うなんて、猫じゃらしおっかけてるのと大差ない。となると、カプセルホテルはゲームと同盟関係にあるってことか。
 ともあれ、人は猫とは違い、朝になればそこから這い出すことになる。サラリーマンにとって、まさに戦いの始まりなのだ。今回のシリーズタイトル、学生年代のほとんどには意味不明だと思うけど、ウルトラセブンのカプセル怪獣のことを言っている。今の世代なら、ポケモンか?
 モンスターボールの中ってのも、こんな感じなのかな。



 今池というのは、歴史ある繁華街だ。ポジション的には、新橋に近い感じがする。オフィス街の中心から少しだけ外れたところで、まっすぐ帰宅したくない人をがっちりと受け止めてるって感じだ。
 到着したのは、もう11時ごろだった。「都心のサラリーマン」経験がない身としては、夜の繁華街そのものが物珍しい。パチンコやサウナの灯りが煌々と輝くメインストリートから、一歩裏道に入ったところに宿がある。進んでいくと驚くべきものが。なんと、キャバレーがあったのだ。
 なにしろ、キャバレーだよ。キャバクラじゃなくて。昭和遺産だよね。でも、中のお姐さん方も昭和から続けてるんじゃないかみたいな疑念が捨てきれない。入ってみりゃわかるんだが、リスク大きいし。
 ちなみに、ネットで調べてみたら「名古屋唯一のキャバレー」なんだそうだ(チェーン店だから、今池以外にもある)。「キャバクラとどう違うのか」「キャバレーはこんなに楽しい」みたいな記事が書いてある。まあ、そう将来はなさそうな感じがするんで、行ってみたらよかったかもしれない。レジェンドを体験できるってやつで。
 カプセルホテルの未来はどうなんだろうか。
 昔のキャバレーのキャッチコピーに“紳士の社交場”なんてのがあったけど、カプセルホテルはさながら“紳士の休息所”とも言える。人の「無言の善意」を前提にしたシステムだからだ。寝室に鍵はなく、ロッカー室や大浴場までつながった“開いた”空間を構成している。防音もない。「人に迷惑をかけるようなことはしない」という、紳士の嗜みを持った人しか利用しない、それがカプセルホテルの前提なのだ。今、日本中のサービス業が異文化の猛攻に晒されているわけだけど、これが及んできたらとても太刀打ちできそうにない。
 まあ、まだ日本中に山ほどあるから、こっちは当分だいじょうぶだろうけどね。