ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

堂々と説くゲームデザイン(5)

 もちろん、現実には10年毎に世代が変わるわけではない。説明した4つの“世代”も、あくまでも便宜上の類型化だ。ただ、こうした傾向でのパラダイムシフトが行われてきた事自体は、現実だと言える。

 ここでひとつ、注意点がある。各要素は、重層的だということだ。時代が移り、新しい基準が導入されたからといって、前の時代の基準が必要なくなるなんてことはない。例えばゼロ年代においても、ゲームデザイナーには創造性やリーダーシップが求められるし、さらに言えば「自分で作れる」だって、―その対象はもうプログラミングとは限らないけど―やはり必要なことなのだ。

 実際、いくら21世紀になったからといって、全てのプロジェクトが何十人もの多様なプロフェッショナル集合体によって作られているわけではない。頂点が高くなる時は、裾野も広がっていく。中腹よりも下のところでは、いまだに昔の方式に準じた開発スタイルが使われているはずだ。そして、学生諸君にとっていちばん身近なところにあるプロジェクト=自分たちでやる制作なんて、80年代型と90年代型のハイブリッドみたいなものだろう。このレベルでの「創る」を経験したことがない志望者は不幸だ。

 そしてもう一つ。「ゲームデザイナー」という言葉には、多様な意味がある。あえて二分すると、役割としてのゲームデザイナーと、職種としてのゲームデザイナー…という形で、対置できるだろう。両者の意味には、少々(かなり、かな)ずれがある。〈ゲームデザイナー;役割〉は、プロジェクトの中の特定の仕事を担当する人、つまり、他の人にはできない専門的な仕事がある人だ。だけど、〈ゲームデザイナー;職種〉は、そうではない。役割は多岐に渡り、「これって他職種の仕事なんじゃないの?」と言い返したくなるものもあれば、雑用に近いことだって含まれる。

 ゲームデザイナーとして生計を建てていくつもりなら、こういう点で偏りを持っていてはいけない。必要なことは当然のようになんでもできないと。