ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

深まりゆくiの生活(4)

 実はiPad Proにに先立ち、重大な買い物をしている。AdobeCCだ。
 きっかけは、仕事で納期的に追いつめられたときだった。しなければならない文書デザインがあるのに、そのための時間がとれない。そんなとき、AdobeiOS用にCCソフトを出していることを知り、藁をも掴む気持ちでインストールしたのだ。
 結果は、鮮やかだった。もちろん、旧いiPadではあれこれ限界もあるのだが、Adobe CompとIllustratorDrawを行き来しながら、地下鉄に乗ってる間に概ね形になってしまった。
 Adobeは、まだMacOSが「漢字Talk」なんて呼ばれてた時代から使っている。プライベートでは、CS6のIllustratorを使っていた。ソフトとして安定しているし、性能・機能に対しても何の不満も感じていなかった。だから、CC買って本格的Adobe税を払おうなんて全然思ってもいなかったのだが、この威力を見せつけられると、やっぱり考えざるを得なくなる。悩んだ挙句、Adobe税を支払い続ける生活を受け入れたわけだ。
 iPad Proに対しても、実はこれへの期待があった。このソリューションにおいて、重要な役割を果たしてくれると思ったのだ。そうなると、まさにプロのためもProではないか。
 実際には、これがなかなか……。
 ひとつには、思ったほどAdobeCCが活用できないでいるということがある。
 Adobeという会社は、ユーザーの置かれている環境をすごく限定的に考えてるんじゃないだろうか。職場と自宅で異なるアカウントのAdobe製品を使っている人とか、勤務先のインターネット環境に設定されたファイヤーウォールのせいでひどく限られた方法(=自前のiPhoneテザリング)でしかAdobeのサーバーにアクセスできない人とか、最初からいないものと決めつけられている。その結果、移動中にiPad Proで作ったデータは、自宅に帰らないことには開けないのだ。そして、汎用のクラウドを使うとか、メールで転送するとか、そういう「想定外」のデータ同期方法は、Appleとの連携でガードされてしまう。
 結局、プロ的な使い方の確立には、まだ全然至っていない。とはいえ、iPad Proという環境、アマ的な使い方においてはとっても便利&快適で、そっちにおいては存在価値が増している。正直、ちょっとまずい状態だ。このままでは、プロ的な使い方なんて「ま、いいか」になってしまいそうなのだ。

深まりゆくiの生活(3)

 さて、iPad Pro。「うんにゃらPRO」という名前の商品、この世界では結構多い。ただ、およそプロ用とも思えないようなものも少なくない。
 iPadに「Pro」が出ると聞いて、最初に感じたのが戸惑いだった。
 Appleの場合、単に「性能が(値段も)高い」の記号として「Pro」の語をくっつける傾向がある。例えば、Macbook Pro。同じ時代のMacbookよりも高いパフォーマンスを与えられるけど、プロ用ツールとしての存在意義はそこじゃない。何かというと、レガシーなデバイスだ。ieee1394Apple用語ではFireWire)に接続できたり、CD-ROMやDVD-Rを読み込めたり、そういうことができるのが、何より重要だった。だから、現在のMacbook Proは、もうプロ用じゃない。プロにとって重要な「実績ある周辺機器」との接続が切り捨てられてしまったからだ。プロは、制作のためにパソコンを使う。ハイパフォーマンスも新機能も、制作に役立つからこそで、役立たないのならいらない。ましてや、制作の阻害要因として立ちふさがるんじゃ、話にならない。
 ともあれ、「創作のためのツール」という位置づけ、これがプロ用のプロ用たるゆえんなのだ。
 でも、これは言ってみれば、パソコン共通の特徴だ。そして、パソコンとタブレットを隔てる大きな特徴でもある。タブレットは、創作に使うことは考えられていない。そのことが顕著に現れるのが、環境構築。パソコンという道具は、自分自身で環境を構築するのが基本だ。一方、スマートフォンタブレットは、それを嫌う。特にiPhoneiPadの場合、勝手サイトの存在すら許さない。必ずアップルの用意したサイトからダウンロードさせる仕掛けになっている。ただ、単にWebや電子ブック観るだけとか、メールのやり取りをするだけとか、そういう形で用途を絞ると、タブレットほど使いやすい道具はない。手軽だし、どこにだって持ち込める。防水ケースに入れれば、風呂の中でも使える。
 というわけで、こともあろうにiPadで「プロ」というのは、なんだか形容矛盾のようにも感じてしまったのだ。マクドナルドで「ビッグマック・ミニ」なんて売ってるみたいな、ね。

深まりゆくiの生活(2)

 わざわざ事前予約で購入なんてするくらいだから、思いはいっぱい詰まっている。なんでそっちの話題にしなかったのか。
 一言で言えば、廉恥心だろう。発売当日ったって、それが重大事件であるのは、ぼくだけの話。同じ日に手にする人は日本中に何万人もいるわけで、はしゃいだってしょうがないのだ。まあ、アップルストアで徹夜で並んで一番乗りで買ったってんならともかくだけど、実際には通販で買っているんで、受け取ったのはその日の夕方だ。開封の儀とか言って箱から取り出すだけのことをYouTubeで公開できるのは、やっぱり1番のやつだけの特権だろうね。そう、2番じゃダメなんですよ。
 大体、お金出せば最初の購入者にはなれるわけだから、いばれるほどのなにものもない。これが新しいマシンのロンチタイトルを開発するなんてことなら別だ―この場合は凄いよね。投資と投機のぎりぎりのラインに、自分たちの人生の何ヶ月かをかけているんだから。知り合いの中にはマジそういう世界に住んでいる人だっている。
 ときどき「イワシのリーダー」なんてことを考える。イワシの群れでは向きを変えた時にたまたま先頭にいた個体が便宜上のリーダーになるのだが、インターネット時代のトップランナーなんてのは、どうもそんなのばっかな気がする。自分までその一員になってしまうのは、やっぱり恥臭いのだ。

深まりゆくiの生活(1)

 このブログの第2シーズンが始まったのは4月1日。そしてその前日、ぼくはiPadを買っている。もちろんプロ9.7インチだ。iPadとしては2台め。そしてこれまでに3種類のiPodに2台のiPhoneを使ってきているから(一部現役)、7つめのiってことになる。
 アップルトン(Apple豚)なんて単語が使われているのかどうかは知らないけど、まあそういう手合はいる。実はMacの方も今使っている2台が歴代4&5台目なので、そう見られてもしかたのないところがちょっとある。だけど、当日買いはこれが初めてだ。ぼくは、基本的に「ものごと距離を置いてみるほど野暮なことはない」と思っている男だが、ことコンピュータについてはエンジニアモードが顔を出してしまうことがあるのだ。これまでの“iライフ”では、常にそれが出てしまっていたのだ。
 エンジニア的には、出たとこ買いなんて愚の骨頂だ。初期不良はあるし、バグは残ってるし、ロット間のばらつきもある。問題点が出尽くし値段もこなれてくるのが、半年後。そこまで待つのが上策なのだ……そんなのがあって、発売当日に手にするなんて事は、これまでほとんどなかった。
 というわけで、自分史的にはとても貴重な、ファースト・インプレッションを書き綴るチャンス。当然、そちらについて書くというのが、ブログってやつの基本だろう。でもぼくはそれをせず、こうして1ヶ月経ってからやっと書いている。

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ゲームほど素敵な仕事はないッ!(終)

 間を空けながら書いているうちに、気づいたら4月も後半になってしまった。
 いよいよ今年度のゲームデザインの授業が始まる。十数年の教員(&講師)生活の中、ただの一度も欠かさなかったのが、これだ。そして、少し遅れて、有志のみを対象にした企画ゼミもスタートする。こっちも、実は同じぐらいに伝統があり、世に送り出したゲーム屋の数も、相当なものに上っている。
 悩むということを、何もしないことの理由にしてはいけない。結論は出ないけど、やるべきことはどんどんやっていこう。

ゲームほど素敵な仕事はないッ!(9)

 簡易なゲーム開発環境そのものは、昔からある。独立したばかりの頃のぼくがはまったのがそういうソフトの一つ、DIRECTORだった。より一般的には遅れて登場したFLASHの方だろう。インターネット環境での動作が前提となる分使いづらい面はあったが、何しろ安価(比較的、だけどね)だった。
 ただ、それらのオーサリングソフトは、プロのゲーム屋が製品開発に使うには、不十分なものだった。一部のノベルゲームは別として、基本的にパイロット版までのツールだったのだ。だが、現在のUnityは、れっきとした開発ツールだ。製品だって普通に作られる。 
 このような時代の中、今悩んでいることが1つある。ゲームデザイナー志望者は、修行にあたり、どちらを優先すべきかと言うことだ。
  ディベートドキュメンテーション、プレゼンといった、特にこの職種に求められるスキルを、直接的に磨いていくべきなのだろうか。それとも、Unity使って実際にゲーム開発をしてみるべきなのだろうか。
 「全部優先!」なんて昭和のモーレツ社員みたいなキーワードがつい頭に浮かんでしまう。でも、現代ゲーム開発はサイエンスだ。経済学でいう機会費用の問題…何かをするということは、他の何かができないということである現実…を無視することはできない。
 商品開発の現場の上の方にいる人との付き合いも、最近では増えてきている。聞いてみたいとも思うのだけど、 ただ、彼らにしても答えを持っているのかどうかはわからない。

ゲームほど素敵な仕事はないッ!(8)

 さて、以上のべてきた「ゲームデザイナー論」は、一つの前提の上に成り立っている。「ゲーム会社で仕事をする」ということだ。
 ファミコンの登場からほんの2・3年前に至るまで、ゲームデザイナーになるためにはゲーム会社で仕事しなければならないというのは、特に論を待つまでもないほどの常識だった。
 そもそも企画屋というのは、かなり図々しい存在なのだ。
「オレ、こういうゲーム創りたいんで、カネ出してください。1億円くらい」
 赤の他人にこういうことお願いするのが、プレゼンなわけですよ。
 こう考えると、新人が仕事をする上では、「インハウスのデザイナー」という立場は不可欠であるといえる。実績もない無名な自称クリエイターの“おねだり”なんて、誰も聞きはしない。だが、社員に仕事としてやらせるのなら、話は別だ。彼の夢を叶えてあげたいんじゃない。誰かが「提案の最初」をしなければならないからで、そのために雇っているのが企画職の社員だからだ。
 というわけで、未経験の素人がゲームデザイナーになるためには、「ゲーム会社に企画職として就職する」が、唯一の現実的な選択肢だったのだ。
 これが、今は違ってきている。
 今、ゲーム開発は格段にやりやすくなっている。Unityに代表される優秀なツールの登場によって、 また、市場もオープンになっている。任天堂をはじめとするゲーム機のプラットフォーマーは実績ある法人としかサードパーティライセンス契約を結ばなかったし、最低ロット数が数千本あたりに設定されていたから、かなりの資本力がないとリリースできなかった。今ではどうか。アップルにしろAndroidにしろ、とてもオープンなビジネスモデルを採用している。
 つまり、自分で考えたゲームを自分で作り、自分自身で市場に出すなんてことが、できてしまうようになっているのだ。こうなれば、ゲーム会社になんか入らなくたって、だいじょうぶ。そして、自分一人で作る分には、提案も管理もいらない。