ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

ゲームほど素敵な仕事はないッ!(7)

 一方、スケジュール管理は、もっと「勉強して理解しておくこと」の比率が多いとも言える。
 まず工程が把握できていないと絶対にできない。ガントチャートは、ジョブを小分けにして項目化するところから始まるわけで、作業の全体が理解できていなければ書けるはずがない。ではその工程は定型的なのかというと、さにあらず。古くはウォーターフォール型vsインクリメンタル型、近年ではアジャイル。開発工程をどのような思想で設計するのかは、ソフトウェア工学の大きなテーマであり続けている。
 そして、単に予定を組むところだけで終わるはずもない。できあがったばかりのガントチャートなんてのは、中学生の「夏休みの勉強計画表」とそんなに違うわけじゃないのだ。どうやってそれを守るかがまず大事だし、守れないことがはっきりしたらどうチャートの方を書き換えるのかが大事になる。そして、進捗状況の把握は、定量的にできないといけない。「進行度30%」と言うときの30%は数学概念としてのそれたるべし。「とりあえず進んでるし」の別表現として使ってちゃだめだ。
 また、作業に当たる個々人の能力も把握できていなければ、有効なスケジュールを作ることはできない。そして、実際の運営では、能力に応じた仕事をしてもらわないといけないのだ。ひたすら見張って“労務管理”すればいいのかというと、そんなはずはないよね。結局このあたりは、リーダーシップ論というテーマに行き着く。
 遅れが出ている時、それをどうカバーするのか、そして、納期に対してどうフィックスさせるのか。これには、高度なツールもあるし、泥臭いノウハウもある。机上の勉強だけで実務能力を身につけることは不可能だ。専門学校生の場合、学生プロジェクトの類に参加できる機会が多いから、こういう点では有利といえるだろう。ただ、そうした勉強ネタへの関心すら持たないやつがどれだけ実務経験を積み上げても、「今あるものなら作れる」以上の能力を身につけることは、まずない。理論に対して盲信してもいけないのだけど、リスペクトする姿勢は持っていないともったいないのだ。

ゲームほど素敵な仕事はないッ!(6)

 というわけで、読み書き、聞き話す、そういうスキル。そして、ガントチャートを描くということ。さしあたりはこういうことができないといけないわけだ。

 とはいえ、以上は第一階層にすぎない。「……を実現するためには何が必要か」の問いという形で、すぐ裏の階層がいつだって浮かび上がるからだ。

 ドキュメント作成に必要な力は、さしあたって文章力と(狭義の)デザイン力になる。これは、本を読んだり絵を鑑賞していたりすれば自然と身につくかというと、そうじゃない。実はどちらも論理性の裏付けがなければ、うまくはなれない。ものごとを抽象化して理解し、異なるものの類似性や相互関係を見抜いたりするということだ。

 対話については、直接的には滑舌や発声なんてことだけど、こんなのはさほど重要ではない(あまりに酷いのは困るから、酷さに自覚がある人は練習ぐらいはしておくべきだけど)。けっきょくこれは「共感する力」ということだろう。言葉というのは、情報伝達においては、実は限定的な役割しか果たしていない。これはノンバーバル・コミュニケーションだけの問題ではない。何を言っているのかをある程度予想できるから意味が通じるというところがあるわけで、そういうつもりで話を聞き、また相手が意味の予想をしやすいように工夫しながら言葉を紡ぐ、その努力が必要なのだ。

 そして、一方の力は他方にも活かされる。ディベートやプレゼンには論理性が重要だし、共感力のある人間が書いた文章や図版はわかりやすいのだ。

ゲームほど素敵な仕事はないッ!(5)

 話を戻そう。ゲームデザイナーの仕事を、提案者と管理者という2つのモードで考える。これが、ぼくのやり方だ。そしてこのように理解することで、志望者が身に付けるべきスキルも、明確に定めていくことができる。

 提案者は、何よりも話せなければならない。現在のプレゼンではスライドが重視されるわけだけど、同時にドキュメントも不要になっているわけじゃない。そういうものを作る力というのは、生まれつき自然と育ってくるなんてことはなくて、努力して獲得しなくちゃならない。また、話すということは、聞くということとセットにもなる。こういった力を持っていないかぎり、提案者としては仕事ができないのだ。

 管理者はというと、当然ながらスケジュール管理だろう。この分野には、ガントチャートという、原始的なツールがある。縦軸にジョブの種類、横軸に日付がとってあり、「いつからいつまでどの作業をする」を視覚化したものだ。これを描き、作業を分配し、チェックしていく。遅れの発生を早い段階で突き止め、すかさず対策する。そして、現実に合わなくなってきたら、適宜書き直す……そういう運用が前提になっている。プロジェクト・マネジメントのツールの中ではかなり原始的だが、こういうことすらわかっていなければ、その先だってない。

ゲームほど素敵な仕事はないッ!(4)

 ここで1つ確認しておこう。デザインは、プロセスだと言うことだ。

 少なからぬ人が勘違いをしているのだが、デザインというのは「卓越した個人による芸術的な創作活動」ではない。もちろんそういう要素はあるのだけど、あくまでも要素にすぎない。本質は、プロセスなのだ。

 1つの製品が作られていく中、立場の違う様々な担当者が参加することになる。製品とは常に多面的なものだ。そのどれかだけを切り出して、もっぱらそのためだけに使うというわけにはいかない。単純なものなら、ひとりの担当者が多面性に配慮することでもなんとかなる。だけど、ある程度以上の複雑さを持つ製品カテゴリーでは、一人の人間ではどうしたってカバーしきれない。だから大勢の担当者が参加するのだ。そしてデザイナーというのは、そのプロセスをまとめる立場になる。

 言い換えれば、デザインという行為は、デザイナーの頭の中(&机の上)で行われるのではない、ということだ。実際にそれに携わっている人は、上述の「多くの担当者」に他ならない。そして、それを仕切る役として存在しているのが、デザイナーなのだ。

 もちろん、簡単なことじゃない。切り捨てる方向でまとめるのは(心理的/社会的にはともかく)楽だ。だが、それでは重大な欠陥を持つ製品となってしまう。そしてマクロ的には「購買層の見落とし」として現れる。かといって、多数決で決めて行ったらどうなるか。ある分野の代表者と言っても、多分野では素人。なので、どうにも魅力の無い仕様ができあがる。

 だからこそ、専門職としてのデザイナーが必要になる。そしてデザイナーという仕事は、専門職として扱われるのにふさわしいだけの困難さを持っているわけだ。

ゲームほど素敵な仕事はないッ!(3)

 この仕事に求められる要素は何か。

 ぼくは2つの立場で説いている。提案者、そして管理者だ。

 ゲームデザイナーは、ゲームを構想する。つまりは「面白い」を考えると言うことだ。沈黙したままで考えていても仕方がない。人に話さなくちゃいけない。だから考案者ではなく提案者なのだ。

 では管理者とは何か。

 現実問題として、ゲームが作られるためには直接創作だけをする人間ばかりではうまくいかない。もちろん、気心の知れた連中なら、ちょうどロックバンドがスタジオの中でごそごそやってるうちに曲を作ってしまうのと同じように、ゲームを作り上げることもできるかもしれない。だけど、現実のゲームプロジェクトはロックバンドよりは人数が多い。どっちかって言うとオーケストラだ。作曲家がいてさらに指揮者もいないと音楽は奏でられないのだ。

 実際にはロックバンド並みの少人数でもうまくいかないことが多い。定番商品が消失した現代のゲーム界では、共有する基盤がどんどん小さくなってきてしまったし、異質なバックボーンを背負った人間が組んで仕事することも多い(プレイヤーとしての経験すら皆無に近いクリエイターが参加したりする)。だから、こういう時に一仕事する人間が必要だ。これが管理者と言うことになる。

 さて、(今のところ)FC2のフレームに完全に依存している本ブログ、過去の記事にアクセスすることが必ずしもやりやすい仕様とはなっていないのだけど、この辺の話は実は既出だったりする。ちょうど1年前、10回ぐらいとって書いているのだ。

 さすがに1年では事情も変わっていないので、「志望者はどうすればいいのか」は、そっちを読んでもらうことにしよう。

ゲームほど素敵な仕事はないッ!(2)

 ゲームデザインとは、ゲームのデザインのことを言う。

 デザイン=設計。このことは、知っておいたほうがいい。ためしに英語の辞書でdesignを引いてみると、①で書いてある意味はこれだ。

 ただ、小説を書くという行為がパソコンのキーボードを打つことだけで成り立つものではないのと同様に、設計=設計図を描くことじゃない。図面を描くのは最後の工程で、そこに至るまでの取り組みの全てが、ほんとうの意味の設計なのだ。「デザイン」という言葉は、狭い意味での設計と区別するためにデザインという言葉がある。

 では、具体的にどんなことを意味しているのか。これは、作るものによって違う。また、デザイン/デザイナーという名前で呼ばれるとも限らない。映画なら「監督」。建物なら「建築家」。どれもここで言っているデザイナーと同じ意味だ。

 ゲームの場合はどうか。実はその意味でゲームでも言い換え語がある。「企画」あるいはカタカナ語化して「プランナー」なんて言うのだ。また、「コーディネーター」なんて呼ぶ会社もある。グラフィックの専門家もゲームにはいて、日本の場合、そういう人たちもデザイナーと呼ぶから(海外だと通常アーティスト。厭味ったらしいよね)、そっちとの混同を避ける意味で、あえてデザイナーの言葉を使わないのだといえるだろう。

ゲームほど素敵な仕事はないッ!(1)

 ゲームデザインを教えて何年か、もう数えるのもめんどくさいことになってしまった。

 ただ、同業者=ゲームデザインを担当しているティーチャーの中では、かなりの古参であることは確かだ。初めて学生の前に立った時、扱ってたプラットフォームはスーパーファミコンだったからだ。また、「ゲームデザインコースの教員」としては、間違いなく最古参だと思う。尊敬する、岩谷/遠藤の両巨頭だって、ぼくがバンタンの教壇でゲームデザインを論じていた頃は、まだナムコの社員だったはずだから。

 それでも、新年度が来るたび、何をどう話そうか、悩んでしまう。

 ゲームデザイナーという仕事は、面白い。一般人でも努力さえすればなれる職業の中では、いちばん面白いんじゃないかと思う。このことは、たぶん実務畑出身の教員の共通認識だろう。でも、就職という点での難しさも、実務家ならわかっている。ぼくは会社にいた頃、採用選考の仕事もしていたから、そのあたり多面的に解る。

 さて、今年もまた、そんな悩める時期がやってきた。

 このブログを再開するにあたり、何をテーマにしようか、いろいろ考えてきた。まあベタで何なんだが、この辺で行ってみよう。今から書き始めれば、ちょうど授業の始まる頃には、まとめられそうだしね。