ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

特殊能力でもオカルトでもなく(終)

 Kindleといえば、新型Kindle Fireの発売が発表されている。この速読にまつわるシリーズが予想以上に長くなってしまった結果、気づいたら「まもなく発売」になってしまっていた。

 初期ロットにはあまり飛びつかないほうだけど、今回は違う。わざわざAmazonプライム会員になって、予約してしまっている。

 ぼくが使っていたのは、前の型のPaperwhite。これはこれで引き続き用途があるのがいい。製品構成がスケーラブルで、下位機種にも独自の存在価値があるからだ。アップルのは、対照的。今ぼくはiPhoneを使ってるけど、これを買ったらそれまで使ってたiPod touchの出番が全くなくなってしまった(さらに言うと、武器庫の中には、nanoとshuffleもあるのだ)。

 さて、本という商品について。

 頭に「滅びつつある」を付けるのを、作家の誰かがやってた。そうあるべきだとはもちろん思っていない。だけど、そうなってしまう可能性は、無視できないと思う。

 今ある出版社のシステムに、かなりの非合理性があることは否めない。そして、それがもたらした害悪も、空想ではない。出版社が特権的な地位にいたことは事実だし、会社が持つ(事実上の)権力を自分自身の歪んだ欲求を充足させるために行使するろくでもない人間が出版界にいたということもまた事実だ(もちろん多数派ではない。でも、無視できるほどの例外的少数派でもないだろう)。こういうのがなくなり、誰もが自由に発表できるようになるのは、文化の発展に資するように見える。いい本を書く人間が、担当編集者の嫌がらせで潰されるなんてことがなくなるわけだから。

 でも、たぶんそれは起こりえないことなのだ。質を確保するシステムが構築されなければ、電子の本屋はゴミで溢れかえってしまう。そうなると、今インターネット上にあるコンテンツと変わらないわけで、誰も買おうとはしない。だから出版社には、紙の本を頂点とするヒエラルキーを作り直し確立する、文化で生きてきた業界としての義務がある。

 その上で、ひとつ。できれば商品自体をハイブリッドでやってほしいものだと思う。紙版を購入したら自動的にKindle版が手に入る、とか。で、買った僕達としては、読むのはKindleを使い、保管には紙版を使う。出版社にとって電子書籍への対応は「機会損失への備え」のようだから、こうしたからって困るわけではないと思うのだ。