ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

特殊能力でもオカルトでもなく(8)

 でも、本の持つ優位性はそれだけだろうか。

 ひとつには、それが有体物であるということ。知識は「本」という物理形態をとることで、実体化する。知識は情報で、それ自体所有できるものではない。でも本は所有の対象だ。フェティシズムの対象にもなり、地上にある他の物との相対化が可能になる。

 ただぼくは(いちおう)“芸術工学修士”だから、その側面でも考えてしまう。ここは「装置」としての本の特性というのが、かなり大きいと思うのだ。物理的なページがあり、それを操作することで読み進めること、これを持っている。これは、スクロールして読み進めるインターネットよりも、だんぜん優れたインターフェイスだ。

 ここでひとつ悩ましい問題があるのだ。電子書籍がどうなのか、ということだ。

 現実の問題として、こと速読については、Kindleは素晴らしい。速読技術の習得に使った佐藤さんの本もKindle版。紙版だとA5で300ページぐらいで、決して薄っぺらなわけじゃないのに、読み始めたその日の内に読み終えてしまった。

 ただ、Kindle本の欠点は、読み返す時に現れる。ライブラリの構築が困難だということだ。

 標準的な本棚1つには、ハードカバーにして300冊ぐらいの本は収まるだろう。3つ並べて、900冊。それが背表紙を向けているのを見ても、ぼくたちは特にビビらない。そして、ちゃんと読んでいた本なら、見ている内に内容がだいたい浮かんでくるはずだ。

 では、デスクトップ上に900のアイコンが並んでたら? たぶん、見るのも嫌になるよね(そもそもそんなことをするのに何インチのディスプレイがいることやら)。

 この辺の話は、前にもしたことがある。 結局のところ、同じ土俵では戦えないから、別の(電子書籍にとって有利な)ところで勝負する必要がある。思いつくのは、データ化されている以上、検索に対応すべきだといこと。ただこれはファイル(電子ブック)の側がそれを受け入れるように作られていないといけない。

 というわけで、紙か電子か。でも、やっぱり排他的な選択はしたくない。